今西錦司 |
『山の随筆』 (河出書房新社 2002年5月刊 原著刊行1979年) |
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●気楽に読める本生物は住む場所を棲み分けることによってそれぞれが固有の種として進化していったという説などでも有名な「今西進化論」。その今西進化論の提唱者である今西錦司先生は、また登山家としても一流の人間であった。…のだそうな。 まあ、登山については申し訳ないけど興味がないので、それが有名なことなのかどうなのかもよくわからないんだけど、本書はそんな今西先生が書いた登山についての随筆を集めて編んだもの。そのまんまですけれども。 前に読んだ『イワナとヤマメ』が、軽い読み物かと思わせて実は割と本格的な研究書だった、ということがあるので、これも単なる山についての随筆ではなくて、ちょっとくらいは今西進化論と絡んでくるのであろう、と思って読んだら、今度は本当に軽い読み物だった。まあ、ベクトルが違うだけでどっちでも楽しめるのでよし。 あんまり興味のないテーマのものを読んで楽しいのか、と問われると答えに窮するところであるが、実際に楽しいのであるからしょうがない。我々活字中毒者というのは、たまに「本気で中身を理解しようとしなくていい本」を読まないと壊れてしまうのだ。何にも読まないと、それはそれで壊れてしまうのがこの病気もちの難儀なところである。 つまりなにがしか読んでないと気が休まらないのだが、人間という生物の性で頭を使いっぱなしだと壊れてしまうので、頭を使わなくても読める活字、あるいは読んでいて頭が勝手に働かない活字が必要とされるわけだ。これが病膏肓にはいると食卓に並ぶ調味料の成分表示で癒されるというから恐ろしい。もはや本では気が休まらないのである。僕もそうならないよう、ゲームとか他の趣味も持っているわけだが、他の趣味がゲームだとやっぱりストーリーを追いかけてしまい、あんまり有効な対処になっていない気もする。 ●たまにはこういう読書もいい話がそれたようだ。 本書に収められている随筆の一番古いのは1932年のものである。今西先生は1902年の生まれだそうだから、30歳の時の文章である。一番新しい文章は1977年に書かれている。あとがきが79年だが、まあ、あとがきは山についての随筆とは言い難いからこれを除くと1977年のものが一番新しい。今西先生75歳の時の文章である。 ほとんどのものは、どこに初出のものなのだかよくわからないが、まあ、45年間、満州事変の頃から高度成長期までに渡って山に登ってはそのことについて随筆を書いていたわけで、こう言っては失礼ながら三つ子の魂なんたらである。たとえば僕が75歳になってもエロゲーの感想を書いているかというと…なんか書いてそうでちょっと怖いが、とにかくよく飽きないものだとは言えるであろう。 本書のいいところは、今西先生自身は至極真面目に登山に取り組み、あの登山法がどうだこうだと考えたり、ヒマラヤ山脈への登山を計画しつつもついに果たせなかったりしているというところであろう。 言うまでもなく、僕はそんなことには興味がないので「へー」と適当に感心していればよい。 この何とも安全な距離感がヌル読書の醍醐味である。何も考えず、特に批評的な思考を巡らせることなく、ただただ書いてあることを受け入れる読書。スタイルとしてはちょっと邪道だとは思うが、こういうのもやすらぐもんである。 ●来歴について ちなみに本書は、1979年に今はなき旺文社文庫の1冊として編集されたものが、2002年になって河出書房からソフトカバー版として新装で出版された、という珍しい経緯を持つ本である。79年は今西先生が文化勲章をもらった年でもあるので、旺文社文庫版はひょっとすると、なんかそのへんの絡みもあって企画されたのかもしれない。 もちろん各随筆にそれぞれ底本があるわけだが、こうして、文庫用に再編集された抄録が再び日の目を見るというのは、なかなかない。旺文社文庫はラインナップだけ見ると、他にもそういうのがあるようで、けっこう面白そうなタイトルが並んでたりするのだが、他の出版社さんでも、この手の再版に携わってみたいというところがないもんだろうか。出たら買う、という本はいくつかあるぞ。 (2006.7.13) |
『イワナとヤマメ』 (平凡社 ????年刊) |
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なんだ、柔らかい釣り紀行文かなにかだと思っていたら、実はとても真面目な本であったのだなぁ、という読後感で、のほほんと読み始めた僕としては、またも無知をさらしてしまったようです。 思考の過程を実測と共に描写しつつ、今西さんの考える分類学自体の進むべき道を踏まえて書かれた各文章は人柄を思わせます。分類学というのは、今はどの程度さかんにやられているものだか知りませんが、起源の古い学問であるのはたしかでしょう。何か新しい物を見たときに、それをある系統の中に組み込んで、パズルを完成させたがるというのは、人間の自然な欲求のひとつです。 昭和天皇がその末節に連なっていた博物学と関わりながら、それを生物学全般の中で位置づけなおしたものと考えていますが(間違っていたらご教授ください)、どうにもこう、その生物学との連環の部分で、遺伝子の分析が盛んとなった現代にはなじまない物であるような気がします。 にしても、巻頭のカラーページに掲載されたヤマメの美しさは絶品。味も絶品ですが、しかし我々が普段食べる、スーパーで売っているヤマメは、かくも美しくあったでしょうか。 (2001.7.22) |
今西錦司 |