稲垣足穂 |
『一千一秒物語』 (新潮文庫 2000年5月刊 原著刊行1997年) |
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稲垣足穂初体験。 タルホは、作品を一読して人生を変えられてしまう人間と、そうでもない人間の2種類がいる。タルホ好きは多いが、多いだけでなくてその熱気がすごい。 僕はどちらかというと後者であって、もう下手をするとそれだけでタルホ愛好者からは人間失格の烙印を押されてしまいかねない。タルホが好きだという人の熱気は、それほどまでにすごい。 何がそこまで人々を熱狂させるのか。そのきらめくような言語感覚を理解してないわけじゃ僕とてもないが、だからといってそれほどまでに熱狂できないというのは、きっと僕が彼らとは人種が違うからだ。ただ憧れと悔恨をこめて彼らとの間に横たわる峡谷を眺めるのみである。 さて、稲垣足穂は、飛行家を志したものの近眼のために挫折せざるをえなかったのだそうだ。 僕はこのエピソードから、船乗りを志しつつ、やはり近眼のために挫折せざるをえなかったという詩人、丸山薫を想起する。同時代の人だし、どこかに接点でもないものかと思ったら、何のことはない、やはり友人関係にあったそうな。きっと若き日の近眼への恨みを語った夜もあったに相違ないと想像するが、しかし飛行家と船乗りとはどこまで共通した土壌を持っているものなのだろうか。「一千一秒物語」と「丸山薫詩集」を比較するのも面白そうな作業である。 おおよそ、ぱっと見た感じにおいては朗らかさの足穂に対して、丸山の詩はどこかしら沈鬱である。同じ夜を舞台にしているのに、足穂はお月さまを相手にピストルの撃ち合いや乱闘を繰り広げる都会の風景を描き、丸山はランプの光に波間がちらちらと揺らめく港を浮かび上がらせる。しかしある意味、足穂の方が人間を問題にしていない分、ペシミスティックでもあるようだ。これはきっと、虚空と港町との湿度の違いだろう。足穂のいる虚空は乾いている分、物が軽くて人間の価値が軽い。 何も言葉を飾らなくてもいいが、そういう嗜好というか性癖があったのじゃないかということだ、足穂には。だからこその飛行家志望だったのか、それとも飛行家を志したからこその嗜好だったのかはわからない。 名著だということになっている。で、実際に名著だとも思うが、だからこそ、これにそこまでの感銘を受けていない自分がもどかしくもある。読んで人生を変えられてしまう人にこそ読まれるべき本だ、これは。 (2004.3.11) |
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