小谷真理



『ファンタジーの冒険』
 (ちくま新書
 1999年9月刊)
 どうしても、本を買うのとそれを読むのとが追いかけっこになってしまっているので(しかも読む方が劣勢)、気がつくと本棚に昔買った本が溜まっていて、ほこりをうっすらかぶりながら恨めしそうにこちらを見ているという状況が発生してしまいますな。
 んで、この本が出たのは1998年の9月のことであるのですが、当時、朝日新聞で、「いつの間にか日本でもものすごい勢いで発達してしまったファンタジー小説群について、すっかりその流れに取り残されてしまったおじさんにもわかりやすく、その発展の歴史を説明してくれる」といった、割に好意的な、ただしあんまりこの本のためにはならなかったのではないかと思えるような書評コメントを見た覚えがあります。
 でまぁ、実際のところ、その当時はまさしくスニーカー文庫系ファンタジーが隆盛だったわけでありまして(今もそこまで状況が変わったわけではないですが、日本でのファンタジーというジャンル自体は明らかに勢いが落ちていると言えるでしょう)、当時行きつけだった紀伊国屋書店の文庫コーナーに足を踏み入れると、まずどかっとスニーカー文庫系の書棚があるわけですね。で、その裏手にあるのがなぜか「ちくま文庫」とか「岩波文庫」だったりしまして、学校帰りとおぼしき、ちょっと前の自分にもよく似た相貌の少年少女たちが熱心にあ(か)ほ(り)さ(と)るあたりのファンタジー小説を立ち読みしていて、その裏手で肩身の狭そうにそろそろ初老かというおじさんたちが「孫子の兵法の思想」みたいな本を見繕っていて、人数的なバランスは前者で後者を補完してちょうどいい、みたいな、微笑ましい光景が広がっていたわけであります。
 僕はジャパニーズ・ファンタジーには少し嫌気のさしていた時期であったので、どちらかというとおじさんたちに紛れてだかだか本を買っていたんですけれども、なるほどたしかに、当時のジャパニーズ・ファンタジーというのは、非常に勢いがあったんですよ。まぁ、ファミコンの爛熟期のごとく玉石混淆な状況が、その凋落を早めてしまったと言う部分はあったかと思いますが。いま、ファンタジー、特に純粋な異世界を舞台にしたハイ・ファンタジーというのはめっきり少なくなっているようです。当時、出版社がもう少し、外国製の、割に骨格がしっかりしたものをきちんとプッシュしておけば…。

 さて、話を本書の内容に戻しますと、朝日新聞でも言われていたとおり、「わかりやすいファンタジーの歴史」といったことになります。最近は「網状言論F」にも登場した小谷真理は、元は94年、『女性状無意識(テクノガイネーシス) −女性SF論序説』で登場し、フェミニズム系のSF評論を展開した人だったそうですが(それ以前は赤十字で働きつつ翻訳なんかをやっていたそうです)、本書に置いてはフェミニズム系のディスクールはあんまり姿を見せなくって(無くはないですが、元々アメリカでのSF・ファンタジーにそういう部分があったからそのへんはしょうがない)、ファンタジーの発生から、様々なサブジャンルの発展を、あまり深入りしすぎることなく、なぞっていってくれております。
 つまり、時系列的に体系化して、ファンタジーというジャンルの発展を見せてくれるわけです。このへん、手際がいいので、見ていて楽しいというのは事実です。反面、著者自身もあとがきで「新書ということで、枚数などなかなか制約も多く苦しい部分もあったのだが」と言っているくらいで、本来ならもっと深く、その発展の意義とか意味合いとか味わいとかいう部分に言及するのがこの人の持ち味であるのに、あえてそれを押さえているという部分は見て取れます。
 SF・ファンタジー評論なら、僕は日本ではまず笠井潔かと思うのですが、どうしても一歩踏み込んでの評論になりがちな笠井さんにかわって、とりあえず系統的な入門書を作っておきましょうかというような、そういう位置づけの本であります。それだけに面白み・深みは少ないですが、「あ、そうだったのか」的な発見も多くて、とりあえず手元に置いておくと便利である場合もあろうなぁという印象をもちました。
(2001.10.15)


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