ヴァルター・ベンヤミン |
『ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念』 (ちくま学芸文庫 2001年10月刊 原著刊行1920年) |
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ベンヤミンの博士号取得論文「ドイツ・ロマン主義における芸術批評の概念」、および関連するベンヤミン自身の短めの論文数編、ならびにフリードリヒ・シュレーゲルの「ゲーテの『マイスター』について」が新訳で収録されている。 ベンヤミンの著作としては、初期・青年期の中でも最も早い時期のものと言っていいだろう。ちなみに、以前に読んだ『ドイツ悲哀劇の根源』(「ドイツ悲劇の根源」)よりも9年早い。まぁ、「ドイツ悲哀劇」は教授資格請求論文なので、博士論文である本書の方が早いのは当たり前なんだけど。 ベンヤミンは、主としてF・シュレーゲル(弟の方ね)とノヴァーリスの批評理論を引きつつ、ドイツ・ロマン主義時代の芸術批評を高く評価し、「十九世紀および二十世紀の批評は、シュレーゲルの立っていた位置〔立場、考え方〕から、再びすっかり下落してしまっている」(p.144)とさえ述べるわけだが、騙されてはいけない。ベンヤミンは彼らの批評概念をトレースすることよりも、むしろシュレーゲルとノヴァーリスが遺した批評の中に、ベンヤミン自身の思想のためのヒントを読みとることに熱心である。 その思想の萌芽はロマン主義特有の「神秘的術語」として、まさしくコンステラツィオーン(状況布置・星座)のように、シュレーゲルやノヴァーリスの批評理論の中から「発見」される。 ベンヤミンは「批評」とは芸術作品の解体作業であり、「反省」によって「局限されてある作品を絶対的なものに同化させること、作品の滅亡という代償と引き換えに作品を完全に客観化すること」(p.176)という、シュレーゲル的に言うならば「形式にかかわるイロニー」だと述べているが、その意味では、まさにベンヤミンはシュレーゲルの批評をさらに批評して、そこに新たな生命を見いだしていると考えるべきであろう。 ベンヤミンがここで何をみずからの思想的課題として発見し、どのような萌芽を現しているかについては、僕は専門家ではないので詳述できない。しかし、それはこう呼んで差し支えなければ哲学的野心とでもいうべきもののなせるわざには違いなかろう。 ちなみに難解なことで知られる「ドイツ悲哀劇」と比較すると、こちらは論旨が非常にわかりやすい。ベンヤミンの著作として重要なのは「ドイツ悲哀劇」の方だろうが、僕のような初心者には、あれはちょっとハードルが高すぎてどうも。これから読み始める、ということならこちらの方がオススメだ。 本論を著した時期(1919年に提出された)、ベンヤミン自身はというと、いささか微妙な位置にいる。 1919年というと第1次世界大戦が集結し、ベルサイユ条約によって講和が成立した年であるわけだが、その世界大戦の前夜、ベンヤミンは親友C・F・ハインレと共に「自由学生連盟」という急進的な青年運動団体で、リーダー的な役割を果たしていた。 当時の彼に深く影響を与えていたのが教育改革者として知られたヴィーネケンだったが、ヴィーネケンが第1次大戦を肯定したのを受けて、ベンヤミンは彼に幻滅し、訣別の手紙を書いてヴィーネケンと袂を分かつ。ほぼ同時期、ハインレが恋人とともに自殺を遂げた。原因は第1次大戦突入、および戦争が終結した後に訪れるであろう昏い時代に対して絶望したためとされる。 いずれにしろベンヤミンは、この大戦を契機に大きな転換期を迎えることになる。好村富士彦氏はショーレムの言葉を引いて次のように述べる。 この師(望月註:ヴィーネケンのこと)への幻滅と友人ハインレの自殺が、この二つの事件の原因をつくった世界大戦の重苦しい圧力とあいまって、ベンヤミンにどんなに強い衝撃を与えたか想像できよう。友人ゲルショム・ショーレムの証言によると、一九一五年から一九二三年まで、ベンヤミンは自分の殻に全く閉じこもって学究に専念するようになるが、時期的にいって、そのような転身の動機は右記の事実に多分に関わっているものと見て差しつかえないだろう。 (好村富士彦『遊歩者の視線 -ベンヤミンを読む-』(NHKブックス) p.27「第二章 危機を生きた批評家」より) つまりこの時期、ベンヤミンは早急に、自身の思想を見いだす必要性に追われていた、と言えるのではないだろうか。あるいはそれは、当時を生きたベンヤミンにとっては、必然性とも呼べるものだったかもしれない。 (2004.6.27) |
『ドイツ悲哀劇の根源』 (講談社文芸文庫 2001年2月刊 原著刊行1928年) |
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や、長かった、というか難しかった。確実に10%未満の理解度しかない状態で書評を書くのもおこがましい振る舞いではありますが、思ったことをいくつか。 そもそも、ベンヤミンは『歴史哲学テーゼ』のような、断片的というか、一瞬の光条のような鋭利さを論の特質としている哲学者です。『パサージュ論』のような長編論考は、その鋭利さを生かすためのツール。例えれば名刀を生かすためには剣術が必要であるように、鋭利さを鋭利なだけにとどめておかないために論考でもって持続的な緊張感を論の間に張り巡らせるようなものでしかなかったのではないかと思います。 それはベンヤミン自身がよく引き合いに出す”コンステラツィオン(星座)”を思わせるような、そういう関係にある「視座と論」の関係であります。 本稿においても、例えば「アレゴリー(寓意)はそもそも博識のないところではアレゴリーとして機能しえない」とか「(カルデロンの「ヘロデ王」で)マリアムネの死は、ヘロデ王の嫉妬が動機なのではない。それを動機とするなら、いっそ自然であっただろうが、それを動機とせず、嫉妬を媒介としてマリアムネに死が訪れたとする。そこに悲劇の悲劇的な所以があるのだ」とか、色々と、ハッとさせられる指摘がありながらも、それをつなぎ合わせてひとつの星座が形成されたとき、そこでどんなものが見えているのかといったことについて、実は今の僕にはさっぱりわかってないんですね、これが。 ただ、しかしながら、実はその星座が、歴史哲学テーゼなんかにも流れ込んでいく、例えれば北斗七星がおおぐま座の一部であるように、全体の一部として、このあまりに難解な論考が存在しているらしいことはおぼろげにわかる。今のところはそれが関の山ではあるけれども、実際問題として、それがどういった形をなすのか、本当に理解したと言うためには、原書から翻訳でもしないと無理なんじゃなかろうか、とも思うわけです。読んだだけで理解できるためには、まずベンヤミン哲学についてあらましをおさえ、次にドイツバロック悲哀劇をおさえて、さらに両者を接続するだけの知性を持ち合わせなくてはいけないのではなかろうかと。それはつまり、ベンヤミン並の知性を持ち合わせるということであるのでしょうが。 模糊としつつも、その中に稲妻が走るのを確かに体感できる1冊ではあります。いい本だけどお薦めは出来ない、という、希有な例でしょうか。 (2002.2.8) |
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