長谷川宏 |
『ヘーゲルの歴史意識』 (講談社学術文庫 1998年11月刊 原著刊行1974年) |
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●6年寝かせました何年か前、というか正確に6年前だなあ、当時、思想の上での歴史観というようなものに興味があって、その折に買った本だ。 でも、思想上の歴史観、とかいいながら、ヘーゲル自体には僕はあんまり興味がなかったので、なんとなくそのままうっちゃっておくようなことになってしまっていた。そういう本が僕の部屋にはかなり溜まってきてしまっているわけだが、いいのだ。ほら、なんかの折に、こうやってまた興味が湧いて読むことだってあるのだよ。 しかし「あるのだよ」はいいけれどもさ、相手がヘーゲルですよ。 ヘーゲルといえば、ドイツ観念論のどんづまりで出てきた御仁であり、近代哲学の大きな礎を築いた偉大な哲学者の一人なわけだけれども、いやあデカンショ全盛期ならともかく、こんにち、カントに始まり、フィヒテやシェリング、それにヘーゲルを輩出したドイツ観念論に興味を抱く若人というのが、どのくらいいるものか。 なんかこう、いまいちワクワクするものを感じないんですよ、このへんの哲学には。言い方を変えると、今日性に乏しいというか。まあ、別に僕はちゃんと勉強したわけでもないから、イメージだけで言ってるんだけど、だからこそ逆に、共通認識として一般性があるのでは、とも思う。 中島義道氏が、哲学研究の分野においてはカントが専門だというのも、実はなんでかよくわかってないんだよね。ま、勉強不足であるのは認めざるをえないんですが。 でまあだからこそ、本書の感想を書く上で、とりあえずヘーゲルとは何者なのか、というのを自分の中で確定しておく必要があると思う。 ●ヘーゲルとは何者か辞書的な定義をおこなうなら、ヘーゲルは「ドイツ観念論の思潮の頂点に立つ哲学者」(『岩波哲学・思想事典』「ヘーゲル」の項より)ということになるだろうけれども、もう少し子細に見てみるなら「カントの精神を継承し、その三批判書の内容を単一の原理を出発点とする体系的な展開に統合するという意図のもとに始まったドイツ観念論の思想運動の中で、独創的な法哲学、歴史哲学を発展させて、壮大な体系的著述を完成して後世に大きな影響を与えた」(同書)という一文が目に止まる。 つまり、カントの哲学を体系化しようという試みがドイツ観念論であって、そのどんづまりで体系的な完成をみた哲学者がヘーゲルだと。 でも、同項目のすぐあとの箇所や、「ドイツ観念論」の項目を見るとちゃんと書いてあるのだが、現在ではこうした位置づけは疑問視されているらしい。 つまり、「ドイツ観念論」の哲学者としては、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルの3者がすぐにあげられるんだけれども、実は彼らが存命していたころには、3人は自分たちが同じ思潮の中にいるとは思っていなかった。そうした認識を決定づけたのはヘーゲル学派の人々などが後世になって、ヘーゲルの立場から思想史を概括したことによる。必然的に、フィヒテやシェリングよりもヘーゲルの思想が高次なもの、発展型としてとらえられているわけだけれど、実はそうときまったもんでもないらしい。 こういう混乱はどこの世界にもあるものだけれども、いや、これ本当にちゃんと把握しようと思ったら、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルの思想のどこがどう違ってるのかをちゃんとわかってないといけないんだから、実にややこしい。だったらそのへんの位置づけはいいから、ヘーゲルの思想はどこがキモなのかだけ教えてくれんかいな、と思ったら、それもちゃんと同書の「ヘーゲル」の項目の中に書いてあった。便利な本である。 カント哲学の体系的統合というけれども、ヘーゲルは途中で、カントの哲学に飽き足らなくなってくる。カントの哲学を批判的に乗り越えないといけない箇所が出てくるわけで、それをどう乗り越えたのかがひとつのポイントらしい。 カント哲学の基本的な特色である主観と客観の対立関係、感性界と叡智界という二世界説、存在と当為の区別は、ヘーゲルにとっては批判的に克服すべき課題だった。カントが打ち立てたこのような二極的な対立関係が、本当は対立を含みながらも内発的に統合に向かっていく過程であるということを明らかにすることで、ヘーゲルは弁証法を打ち立てる。 (『岩波哲学・思想事典』「ヘーゲル」の項より) もいっちょあげておくと、カントが道徳性を重んじていたのに対して、ヘーゲルはむしろ道徳性を離れたところで思想を展開しようとしていた、というのも注目すべきポイントだろうか。 ちなみに上のようなことをはてなキーワードでは「自己が異質な他者の中でいったん自己を見失い、その他者と和解しあうことによってより大きな自己へと生成し、究極的に絶対知へ至る論理を示した」としている。でも、ぶっちゃけ、そこまで簡略化して書かれると、ヘーゲルについて全く知らない僕のような人間にはちょっとどころでなくわかりづらい。というか何が書いてあるんだかよくわからなかったよ、あたしゃ。 つまり、カントの主観・客観という二極性が、実は統合されうるものだというのが、ヘーゲルの主張ってことかな。まだ理解しきってはいないけど、とりあえずそういうことにしとこう。 で、ちなみにこの思想が現代思想の母胎となるというのは、ヘーゲルらの思想を直接的に継承してはいないけれど、若き日にそれを学んだ者の中に実存主義のキェルケゴールとか、マルクス・エンゲルスらがいたという意味合いらしい。むしろ批判的に乗り越えるべき対象としてヘーゲル哲学はあるのだけれど、それでも実存主義とマルクス主義がここから発展していったという事実には変わりない。 ●ヘーゲルの史観で、ようやく本書の感想にはいる。 本書が批判的にとらえようとしているのは、ドイツ観念論の思想家としてのヘーゲルの姿ではなく、歴史家としてのヘーゲルの姿だ。 膨大な歴史体系をあらわしたことでも知られるヘーゲルだが、たとえば『歴史哲学講義』については次のようにまとめられる。 体系の一部が独立した論考となったものに『歴史哲学講義』、『美学講義』がある。その歴史哲学は、政治形態の変化を、東洋では一人が自由、ギリシア・ローマでは数人が自由、キリスト教・ゲルマン社会では万人が自由というように自由の理念の自己展開として世界史を描き出し、歴史像に「進歩」という定型を生み出した。東洋は自然的世界で永遠に同じ状態を反復し、西洋は精神的世界で発展し、自己展開するという東西観は東洋の知識人にショックを与えた。 (『岩波哲学・思想事典』「ヘーゲル」の項より) 同じ進歩史観でもマルクスのものとはちょっと別の切り口ではあるらしいが、ヘーゲルの史観が今日、批判なしに受け止められうるものではないのは上の簡単な説明だけでもあきらかだろう。 もっとも、もちろんヘーゲルの歴史思想がそれほど簡単にまとめられるものであるはずはない。忘れるべきではないのは、ヘーゲルはあのフランス革命の年に学生時代を過ごし、あのナポレオンと同時代を生きた人間だということだ。ヘーゲルのように明晰な男でなくても、ちょっと目端の利く人間なら、それほど楽天的盲信的に西洋の政治形態を進歩の一語でとらえてしまうことはできなかっただろう。 ●フランス革命という転換点たとえばフランス革命について、ヘーゲルがどのようにとらえていたか、本書では次のように説明されている。 フランス革命にかんする個々の文言をひろいあげてみると、ヘーゲルはフランス革命を熱烈に擁護してみたり、過酷に批判してみたり、その立場は右に左に動揺するかに見えるけれども、基本的な全体感はそれほど揺れ動いてはいない。革命成就の報に接して学内に「自由の樹」を植え、そのまわりをシェリング、ヘルダーリンなどとともにおどりまわったといわれるテュービンゲン大学時代はともかく、フランス革命は、これに単純に熱狂したり、やみくもに否定してかかったりすることをゆるさない大事件で、ヘーゲルになりよりも(原文ママ)まず要求されたのは、その歴史的必然性を認識することであった。 (中略)なぜヘーゲルはそれほどまでフランス革命に執着しなければならなかったのか。 答えをひとことでいえば、フランス革命のうちに近代的自由の運命がもっともあざやかにきざみこまれているとヘーゲルが考えたからであった。フランス革命は、ヘーゲルにとって、自由の実現にむかって最後の一歩をふみだした近代史最大の事件であり、近代的な自由がどのようにして普遍性を獲得し、どのように社会秩序と対立し、どのような没落と再統一の過程をたどるかを、まさに具体的に検証しうる実験場にほかならなかった。 (p.119〜121 「四 フランス革命と自由」より) ところが、こうしたフランス革命への基本的な肯定の一方で、また別の問題も意識されている。 おもてむきヘーゲルは、近代国家が個人の自由を最大限に許容しつつ、その自由を国家の実体的統一へと集約していくものだ、と語っている。だが、すでに見たように、個人の自由がゆるされるのは、国家ではなく市民社会の内部においてであって、普遍性の実現の場たる国家の次元では、個人は国家意志に全面的にしたがうべきものとされていた。国家意志が個人の自由意志とは次元のちがうものであることは、たとえば国家契約説を否定する論法のうちにはっきりとあらわれている。そしてさらに、すべての個人が国家の一般的案件の協議と決定に参加すべきだとする要求を、合理性なき民主的要素として排撃し、個人は一定の階層の成員としてはじめて国家の成員たりうるとする論法を勘案すると、ヘーゲルの目には、自由と平等の原理が国家の原理にとってもっともおそるべき脅威とうつっていたことは、ほとんど疑いようのない事実だと思われるのだ。 (p.144 「四 フランス革命と自由」より) つまりフランス革命によってもたらされた市民社会の完成を歴史の必然として認識しつつも、国家主義者(現在で言うナショナリストとはちょっと意味合いが違うので注意)としてのヘーゲルは、国家意志と個人の自由との超克を乗り越えられなかった。 ●国家と個人の超克結局そこのところで、どっちかと言ったら国家を優先する、という二者択一をするわけで、長谷川氏はそこを批判する。本書の要諦は第六章である「歴史意識の帰趨」に尽きると言うべきだろうが、その冒頭、長谷川氏は次のように言う。 ヘーゲルにとって現実とは、空間としてみれば国家であり、時間としてみれば歴史であった。個人は、個人として無限の価値が認められる近代的個人でさえ、このふたつの現実のなかでは、自分自身のために生きることをゆるされず、国家あるいは歴史に随順し、そのめざすところをみずからの目的とすることで、かろうじて有意味な存在たりうるのであった。 そう考えることは、歴史の動態性と全体性を、つまり歴史の弁証法をすくうには、不可欠の前提であった。ヘーゲルの壮大な歴史体系は、ひとりひとりの生身の人間を影の部分におしやることによってはじめて獲得されたものであった。 だが、歴史の全体像を描こうとするとき、そこに生きる個々の人間が多少とも抽象化されるのは避けがたいことではなかろうか。ヘーゲルに限らず、個人を全体の一関数としてあつかわざるをえないのは歴史家の宿命ではなかろうか。 たとえそうだとしても、しかし、ヘーゲルが個人を影の部分に置かざるをえなかったのは、歴史家一般の宿命という言葉ではあらわしえない、ヘーゲル独自の歴史意識にもとづいていた。ヘーゲルが、個々人は民族の子であるとか、時代の子であるというとき、それはたんに個人が全体の一関数であることを意味するばかりではなく、全体を逸脱する個人的な要素は歴史から断固としてきりすてられねばならない、という歴史観上の当為をも意味していた。全世界を視野におさめるかのごときヘーゲルの厖大な歴史体系は、個人的な余剰だけはこれをはっきりと無視するところになりたっていた。 (p.182〜183 「六 歴史意識の帰趨」) ヘーゲルの歴史体系は確かに巨大だけれども、その巨大さというのは個人というものをばっさりと切り捨てるという代償によって、かろうじて成立してるだけやないか、という批判である。それホンマは成立してないんちゃうんか、とまで言ってしまったら深読みだと思うけれども、まあ、意味合いとしてはそこまで進んで構わないだろう。 個人を「全体」というくくりの中に丸め込み、どうしても丸め込めない部分は「例外」としてカットすることで、政治形態というひとつの基軸について、かろうじて整合性のある歴史の全体像を提示しているのがヘーゲルの歴史体系であり、でもその歴史体系は、実は歴史の全体の中から例外を間引いていった先にしか成立してないよね、という意味合いなのだから。 ヘーゲルのこうした傾向は実は歴史にとどまらない。ヘーゲル的な弁証法というのは、事物をカテゴリー別に区分して整理し、体系化するところに特色があるが、物事をカテゴライズするときに、はみだす部分、例外的特異点をどう処理するかといったら、例外であるという理由によって切り捨てることになる。そうした面に対する批判というのは確実に存在するし、また顧慮すべき問題点だ。 しかし、テュービンゲン大学時代にフランス革命成就の報に接し、「自由の樹」の周りで踊り狂ったというエピソードからもうかがえるとおり、ヘーゲル自身、歴史の中で個人がどのように振る舞うのかについては、確かに実感として知っていたはずで、またそれを捨象することに、何ら無感動ではありえなかったことが彼の残した書物の中からは読みとれる、と長谷川氏は言う。 結論として、それが確かにそこに存在することを知りつつも歴史観によってそれを捨象するという決断をする、そのヘーゲルの苦悶と苦渋こそが、彼の歴史哲学の魅力だ、と長谷川氏は言う。 いささか綺麗にまとめようとしすぎかな、という気もするが、まあ、実感としてそうなのだろう。おそらく、ヘーゲルの歴史に関する書物の中に見られるそうした苦悶が、体系となったときに捨象という形で決着がつけられてしまう、その割り切り方に長谷川氏は引っかかったのであり、未完成であっても、その苦悶にこそ本質を見るという結論は、まさに長谷川氏にとっては実感的なものなのだろうとも思うのである。 本書の背景に、著者が実際に体験した大学紛争の記憶があるのだと聞かされれば、また納得もひとしおではある。 (2005.6.27) |
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