川島幸希



『英語教師 夏目漱石』
 (新潮選書
 2000年4月刊)
 著者の川島氏は、秀明中・高の校長を経て、現在秀明学園理事長(注:同校のホームページは現在のところ、トップページからいきなりフラッシュで「Welcom to Shumei Homepage!」などとしゃべくるという、かなり言語道断な作りになっていますのでご注意ください)。秀明学園は埼玉県にある中高一貫の進学校です。
 1960年生まれってことは現在42歳で、その年で理事長ってどないやねん、と一瞬思いましたが、どうやら2代目らしいですね。ケッ、ブルジョアが(笑)。
(ちなみに、裏表紙の写真を見て、どこかで見たことがある顔だと思っていたが、今になってわかった。引退した関取の舞ノ海に似ている)

 さて、夏目漱石の英語教師としての側面に光を当てよう、という主旨のこの本なんですが、読んでいて、どうもよくわからなかったのが、それをすることで最終的には一体何がしたいのか、何が見えて来るというのかということでした。
 本書を購入した目的は、まぁ、英語教師と作家というふたつの側面が、どこでどんな風に影響しあっているのか示唆するところがないかなぁ、というようなものだったわけですが、どうも、そういう方面には、あんまり触れていない。むしろ、どんな英語教師だったのか、どういう教育方針を持っていたのか、そういった部分についての評伝という感じです。
 資料のまとめ方はそこそこ手際がいいと感じられましたが、英語教師としての夏目漱石像をこの本によって描いたとして、それで何が見えてくるのかはよくわからない。文学・英語教育の両面から考えてもわからない。

 一体この著者は何を考えたかったのかなぁ、と思いながら最後まで読んでしまったわけですが、「あとがき」読んでたら、突如としてその真相が書いてありました。
 どうも、漱石が現代まで残してくれた英語教育関連の資料を集成してみること自体が目的だったようです。軽く脱力。
 ええと、気を取り直して補足すると、そもそも、明治期の英語教育に関する資料自体、今はあんまり残ってないらしく、しかしながら、漱石は漱石だったが故に、大学時代の答案だとか、教師になってから制作した試験問題だとかが豊富に残っていると。そう言えば、東大には漱石の脳味噌がまだホルマリン漬けになって残されているそうですね。
 それらの中からひとりの英語教師としての夏目漱石を再構成することで、当時の英語教育についても貴重な資料ができるだろうし、人間漱石を考える上でも資するものがあるのではないか、ということらしいんですが。
 まぁ、文学方面に関して言うと、最近はあんまり「人間としての〜」という視点から作家を考えるという研究は、盛んではありません。それは端的にテクストのみを研究対象とし、作家の人間性などはその資料としてのみ意味を持つ、とする考え方が主流になっているからです。とりわけ漱石は、いわゆる「則天去私」という考え方をベースにして創作があった、というような考え方が戦前よりされてきた一面があって、それによる害が、研究の上で非常に多かった作家ではないかと思います。
 それはともかく、著者の意図がそうなので、本書は、その2次的資料のための研究ということになる。大事なことですけどね、これももちろん。

 松山時代の漱石と、「坊つちやん」のモデル論的な部分も入っていて、これなどは割に興味深く読める部分もあると思います。また、全体を通して、文章がこなれているので、興味のある人は単純に読み物として読んでもいいと思います。
 後は、もちろん、英語教育に関心のある人はそっち方面から読んでもいいと思いますが、どうも著者の主観がちょっと反映されすぎている感があって、ちょっと偏りすぎな部分があるのではないかと思いました。
 個人的に興味のないところなので、具体的にどこがどうとはあげませんが、僕だったら、ちょっと素直には首肯するのをためらうかな。
 著者自身も、英語教育には一家言ある人らしいので、ちょっとそっちに全体のまとめ方が引きずられすぎているかなと。もうちょっと時代状況をトータルに視野に入れないとまずくないかな、という気がちょっとするです。
(2003.1.3)



川島幸希

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