金城哲夫



『小説 ウルトラマン』
 (ちくま文庫
 2002年9月刊)

●「ウルトラマン」にテーマをもたらした男


 金城哲夫氏のことをどう紹介すればいいか、と考えていて、途方に暮れてしまった。
 「ウルトラマン」の生みの親、というのはちょっと違うような気もするし、円谷プロの企画文芸部の中核、「ウルトラマン」のメインライター、という役職だけでははかれないものを、金城氏はウルトラマンに与えた。
 あえて言うなら、金城氏は、「ウルトラマン」にテーマをもたらした、あるいはもたらしてしまった男だということになるだろうか。

 「ウルトラマン」をただの子供向け特撮番組だと心得ている向きも多いだろうが、それは謬見というものだ。
 「怪獣が暴れるのにはそれなりの理由があるんだよ。それを書かなきゃ」とは当の金城氏の言だが、彼は「ウルトラマン」を企画するどこかの時点で気づいてしまったのだ。怪獣が暴れ、それをヒーローが退治するという物語構造には、実はどこにも正義とか悪とかいう指標が存在していないことに。
 もちろん、怪獣が暴れれば地球人は苦しまなくてはならない。それを悪と呼べば呼べるだろうし、それを退治することは正義なのかもしれない。しかし、それはどこまでも相対的な正義と悪でしかない。
 一度、それに気づいた人間は、もう二度とそれを知らなかった人間には戻れなくなるのが、知恵という禁断の果実の特性だ。金城氏はウルトラマンを絶対的な正義の使者としてとらえてはいないし、怪獣を絶対的な悪としては描いていない。むしろそうした単純な図式の中で描くことができなくなったという言い方さえもできるのかもしれない。

 実は僕は大人になってから「ウルトラマン」およびその初期シリーズをまともに見たことがない。子供の頃に再放送で見て夢中になっていた記憶はあるのだが。
 そんなわけで、上に書いたようなことは、主として切通理作『怪獣使いと少年 -ウルトラマンの作家たち-』あたりから得た知識を下敷きとして考えたことだ。むろん、オタクやってりゃ(たとえ特撮は専門外だったとしても)初期ウルトラシリーズのクオリティの高さについて色々な賛辞分析批評その他もろもろに触れる機会くらいはいくらでもあるが、まとまりをもった作家論として金城哲夫氏ほかのシナリオライターを論じた文章は、切通氏の著作が僕には初めてだった。
 そして、氏の『怪獣使いと少年』を読んではじめて、僕は子供の頃、なぜウルトラマンよりも怪獣の方が好きだったのか、その理由がわかったような気がしたのである。怪獣大図鑑をうたった書物が、大伴昌司氏らによって数多く書かれ、そして人気を博していたことからすれば、当時の小学生たちもまた、ウルトラマンももちろん応援するが、同時に怪獣たちが好きだったのに相違ない。
 それは要するに、怪獣の方がウルトラマンよりも、強くテーマ性を有していたからではないか。

 怪獣がその身体性のうちに有していたテーマ性、ということになると、金城氏の作品ではないが、僕は佐々木守氏の登場させたジャミラのことを思いださないわけにはいかない。
 宇宙開発のための実験中に事故に遭い、行方不明となって高熱の星に漂着した地球人宇宙飛行士ジャミラは、その灼熱の中で苦しむうち、体中がひび割れ、首なし死体の胸の部分に目と口を切りひらいたような身長40メートルの怪獣ジャミラへと変わってしまう。人間としての理性も失ったジャミラは地球を襲い、そしてウルトラマンのウルトラ水流によって倒される、というよりも、この場合は正しく「殺される」。
 当時、左翼系インテリ青年の一人であった佐々木氏について語るのは、ここでは脇道にそれることになるのでしない。しかし、佐々木氏(と、実相寺昭雄監督によるコンビ)の示したテーマは、実のところ、金城氏が見いだしたテーマのあり方の一種の発展系であったのだと言える。
 それはつまり、「怪獣−ウルトラマン−人間」の関係性は、どのように存在するのか、という問いかけへの回答だったのだ。

●子ども向けであることと、子ども向けではありながらということ


 遅まきながら、本書にはどういった作品が収録されているのかを説明しておく。
 まず金城氏による長編ノベライズ版「ウルトラマン」。かつてノーベル書房から「怪獣大全集3/怪獣絵物語ウルトラマン」として発行されたものだ。
 そして、小説としてもう1本「円谷英二物語」という短いもの。次にシナリオで「ウルトラセブン」の第1話「姿なき挑戦者」と、第42話、名作の誉れ高い「ノンマルトの使者」、そして「アンヌ、僕はね」の告白シーンが有名な最終話「史上最大の作戦(前後編)」である。
 メインディッシュとしては長編ウルトラマンとノンマルト、セブン最終話のシナリオ。円谷英二物語とセブン第1話のシナリオは箸休めというところだろうか。

 テーマ性がどうのこうのと基本的に褒めてきたわけではあるが、まあ、そこは当時の子供向けノベライズ&シナリオで、設定をわかりやすくするためについている嘘というのもいくつかあり、それが今見ると笑いを誘うのも事実だ。
 ウルトラマンの持つテーマ性という問題から少し離れて、そういう箇所を抜き出してみよう。たとえば、ハヤタが科特隊へ入るために受けた訓練の数々。

 午前五時起床、目をさましたしゅんかんにもうくんれんははじまるのだった。
 まずスーパーガンの点検、そして射撃練習。七時に朝食をすませると昼の食事時間をはさんで国語、数学、化学、物理学、医学、経済学など、あらゆる学科をたたきこまれる。すべてのテストに百点満点を取らないとすぐに落第させられるのだ。
 (中略)そのほかにビートル機や潜航艇の操縦くんれんがある。ビートル機にタンクいっぱいの燃料と半月分の食料をつんで、一カ月間も一人きりでとびつづけることもある。普通の神経ではとてもたえられるものではない。
 そこでまっくらな部屋に一人っきりで二カ月間も生活したり、座るのがせいいっぱいの空中ブランコの上で食事ぬきの生活を一週間つづけたり、ジェット・コースターにまる一日じゅうのりつづけたり……といったくんれんによって根性をつけるのだ。
(p.10「ウルトラマン」より)


 すげえ、すげえよあんた。
 怪獣を退治する上で経済学がどう役に立つのかはわからないが、とにかく百点満点が必須だというのは強烈だ。ああ見えてもちろん、アラシ隊員こと毒蝮三太夫氏も医師免許が取得できるレベルで医学をおさめているわけである。
 そして、その割にビートル機による長時間飛行訓練で積み込む食料が実際の飛行時間とマッチしていない。1/2ということは、つまり1ヶ月のうち半月は何も食べていないということだろう。もちろん、どこで食べ、どこで食べないかの判断も要求されているのだろうが、それにしても気を失った隊員が操縦するビートルが市街地に落ちてこないのかと心配せずにはいられない。養成所に入所したときには50人だった同期が卒業時には4人になっていたとハヤタは述懐するが(4人いるというのがすごいけど)、中には訓練中に墜落死したやつとかいたんじゃないのか。
 そして、そうした訓練に耐えられるようにするために、ホワイトベースの反省室みたいなとこで暮らしたり空中ブランコの上で断食したりするのだという。しかも、そうした厳しい訓練が何のためかというと「根性をつける」ためだというのだ。
 その教育方針には疑問を抱いてほしい。他にもっとやりようあるんちゃうんかと思ってほしい。
 そうやって出来上がったのが、あのウルトラマン頼みの科特隊なんだったらなおさらだ。

 と言って、ウルトラマン本人はまともなのかというとそうでもない。こちらはちょっと考えすぎだ。
 復讐のために再戦に挑んだバルタン星人に、初めて八つ裂き光輪を使った理由を紹介したい。

 一声のこして、バルタン星人はあえなくまっ二つになってしまった。この八つ裂き光輪はこれまで使用されたことがなかった。いかなる星人、怪獣でも防ぐことができないおそろしい武器なので、これまでウルトラマンは使うことを控えに控えてきたのだった。
(p.139「ウルトラマン」より)


 ためらいすぎだろう。
 八つ裂き光輪を使わなくても、これまでだってスペシウム光線であまたの怪獣を爆殺してきたじゃないか、あんたは。

●そしてノンマルトへ


 とまあ、子ども向けならではの誇張なんかもある小説ウルトラマンなわけだが、流石に本職のシナリオになると、そうした行きすぎた誇張が姿を消し、ソリッドなテーマ性が浮上してくる。
 とりわけ、地球の先住民ノンマルトをウルトラ警備隊が殲滅してしまう「ノンマルトの使者」は、金城氏本来の問題意識からは少し離れたところにありつつ、ウルトラシリーズの中で本来的な問題意識をさらに深化させたところで花開いたものとして、いまもファンの間で語り継がれる名作だ。
 人類を守るという使命の裏側へと後ろめたさを追いやって「海底も我々のものだ!」と叫ぶ隊長のキリヤマ、人類とノンマルトのどちらが先住民か確かめるすべなく、とりあえず自分が属する人類側に立って戦うしかないアンヌら警備隊員に対し、ここでセブン=ダンは、ほぼ完全に事の真実、すなわち、実際にはおそらくノンマルトこそ地球の先住民であり、人類が侵略者であったということに気づきつつ、それでもノンマルトのために何をしてやれるわけでもなく、その滅亡を見守るしかない。
 このとき、キリヤマとセブンとの間に、どれほどの距離があるのか。
 結局どこまでもわかりあえないままにノンマルトを滅亡に追いやってしまう後味の悪さが、暗い話が多いと言われるセブンでも特筆ものの救いのなさで描かれていて、後をひく。

 本書を単体で手に取ることによって、どこまでウルトラマンの、あるいは金城哲夫氏の問題に迫っていけるかは疑問だ。それは、本書が「ウルトラマン」「ウルトラセブン」という枠の中でのみ編集された作品集であることにも由来するし、また作品集としてはあまり分量が多くないということも関係していると思う。
 しかし、あくまで入口として、「こんなウルトラマンもあるのか」と感じる人が一人でも多ければ、それは本書にとってはひとつの救いだろう。
(2004.12.19)



金城哲夫

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