森岡浩之



「月と闇の戦記」
『退魔師はがけっぷち。』
『守護者はぶっちぎり。』
『神様はしらんぷり。』
 (角川スニーカー文庫
 2001年12月
   〜2004年1月刊)

●ネタバレします予告


 『星界の紋章』『星界の戦旗』で名を不動のものにした森岡浩之氏が角川スニーカー文庫で出したシリーズ。この3冊で『月と闇の戦記』シリーズということになる。これの前のシリーズとして『月と炎の戦記』というのが全1巻で出ていて、実はそっちも持ってはいるのだが、読む順番が逆になってしまった。申し訳ない…って誰に謝ってるんだろうな。
 えーとね、スニーカー文庫と言うことで、サクサク読めて、あー楽しかった、と本を閉じられます。それ以上に何を望むのか、という感じですが、まあ、森岡氏の、これは全力投球ではないよな。7分くらいの力で、慣らしで投げてる感じじゃないかと。
 で、読んでてちょっと思ったのは、森岡氏という作家は、オリジナリティの固まりみたいな発想の作品をバンバンぶつけてくるタイプの作家では絶対になくて、むしろSFならSFのファン視点で書くタイプじゃないかということ。物語の定型をつかんでて、それをうまく活用してくるタイプの作家なんだなと。
 で、この作品もそういうタイプの作品なんだと思うんだけど、ちょっと節を改めてネタバレしながら解説します。

●物語の定型性とその活用


 これ、構造としては巻き込まれ型ドタバタの典型なわけだ。
 主人公は菊名隆生、いわゆる「見える人」で退魔師、つまり幽霊退治業をしている。彼が幽霊退治の名目でとあるアパートに住み込むことになるんだけれども、そこには何十体もの幽霊の他に、伊勢滋也と楓という正体不明の兄妹が住んでた。
 で、この兄妹、実は正体は神様で、滋也はツクヨミ、楓は狩猟の神。で、幽霊退治に手間取っているうち、滋也たちと同様に現代に甦って大会社の社長になっているイザナミとその手下の雷神たちがアパートを襲ってきて、隆生は神々の戦争に巻き込まれることになる。

 あのー、言っちゃなんだがよくある話ですよコレ。「引っ越し先で愉快な住人に囲まれてしっちゃかめっちゃかストーリー」なんだから、ちょっとたとえが古いけど『優&魅衣』とか、『めぞん一刻』とか、さらに古いけど『マカロニほうれん荘』とか。最近だと、まあ『ラブひな』かな。エロゲーとかだといっぱいありそうだけど、まあ、あんまり詳しくないんで、例をあげるのはこのくらいにしときますが。ちなみに小説だと『吾輩は猫である』なんかは多分同じパターンになるんじゃないかなあ。
 でも、よくある話だからダメかというと、そんなことはもちろんない。物語の定型というのは、話を転がしやすいからこそ定型になるわけで、「新入り」というエトランジェの視点を借りて、作者がこれから提示しようとしている世界を新鮮さや驚きとともに読者に提示できる、という利点、さらに舞台を限定できるのでひとつの事件のなかでキャラをからませやすいという利点なんかもある。
 で、森岡氏の作品を他にもたくさん読んでいるかというとそうでもないので、憶測まじりで言うけれども、この人、それをあるていど意識的にやってるんではないか。定型を意識的に踏まえつつ、色々なパターンを組み合わせてる。「星界」にしても、本格SFとしては割に、目新しい部分が少ない作品だろうと思う。それをキャラクター小説として提示してきたことで、あれはジュニアノベルの読者から本格SFファンまで幅広い読者を獲得したと言えるんじゃないか。

●類型があるということによるメタな物語構成


 本作においてはどうかと言うと、枠組自体も先に述べたようにパターンにはまっているものなんだけれども、登場人物にしても、まあ、類型的と言っていい。
 クールビューティーで自分の興味のあることにしか反応を示さない滋也、熱血系ヒロインの楓、幽霊が見えてさわれるだけで、退治の方法といっても結局殴るだけという体力勝負でなぜか不幸な主人公隆生、丁寧語調で不満たらたらながら決して滋也に逆らえないあたりが『グインサーガ』のナリスとヴァレリウスを思わせる、滋也のペット兼動物神のツユネブリ。
 美形揃いの雷神たちにしても、ラスボスのイザナミにしても、やっぱり同じようなキャラをどこかで見たことがありそうな気がしてくる。
 まあ、ジュニアノベル、というかキャラクター小説というのは、あるていど、マンガなんかで見掛けるようなキャラクター造形をどう変奏していくかというのが勝負どころになっているところがあると思うので、これはひとり森岡氏だけに言えることではない。
 でもこう、それをこの人はかなり意識的にやっているような気がする。
 イザナミたちの目的とかにしてもそうだろう。人類補完計画のアレンジと言ってしまっていいと思うけど。
 そうしたもろもろの枠組自体が最初は隠されていて、それを明らかにするという過程を、主として隆生の視点から読ませるあたりが森岡氏のテクニックだ。全部わかってから腑分けすると、大体どこかで見たパターンのアレだな、ということにはなる。でも、読んでいるときはそんなことを思わずに、やっぱり楽しく読めてしまう。推理小説の叙述トリックにちかいものがあるような気もする。
 で、実際、そういうことをやるなら、まったくのオリジナルなものよりも、あるていど定型性にのっとった設定の方がいい。その方が、読者が設定を推測する楽しみを保証できるから。完全にオリジナルな設定というのは、読者が推測してもたどりつけないことが多くて、逆に不親切だったり。
 だからなんだというのではないけど、そういうことを意識的にやるというのは、なかなか簡単なようでいて難しいのですよ、というお話。

●余談


 この人、やっぱり本来はSFの人なんだろうなあと思う。イザナミがどうやって人間に気づかれずに瞬間移動してるかを説明するのに、プランク定数以下の大きさで云々とか、絶対に説明いらんだろ。それにそれを説明するときの文章の嬉しそうなことといったらない。
 角川もSF書かせてあげようよ。

●余談2


 『神様はしらんぷり。』の98ページ目、幽霊のコンの「『お前だけなら、皆の足にしがみついてでも止めたんだけれどね』とコン。『情けは人のためならずってさ。お前がその子を助けようとしなけりゃ、今ごろあたしらはお前の歓迎会の段取りをしなくちゃいけないところだ』」って、「情けは人のためならず」の使い方間違えてないかなあ。
(2005.12.8)


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