中山義秀



『土佐兵の勇敢な話』
 (講談社文芸文庫
 ????年刊)
 中山義秀『土佐兵の勇敢な話』。
 読んだのは講談社文芸文庫の中の一冊で、中山の代表的な作品群と目されるであろう短・中編が7つ、収められている。第7回芥川賞受賞作にして中山の出世作となった「厚物咲」、自らの体験を元に書かれた「華燭」「魔谷」、戦争小説の「テニヤンの休日」、それに、現在では中山義秀というと歴史小説作家としての知名度が高いのだろうが、歴史を材にとった小説の中から「土佐兵の勇敢な話」「碑」「信夫の鷹」の7篇。
 僕にとって購入の動機となったのは、卒論の研究テーマとも関わりのあった「碑」(「いしぶみ」と読む)だが、一足飛びに「碑」のことだけ書いてもしょうがないので、少し順を追って話すことにしよう。

 と言っても、ここで中山義秀という作家についてくどくどしく説明を述べてもしょうがないので、作家紹介は簡単にだけ触れておくにとどめる。
 中山は、横光利一と大学の予科で同級生である。一緒に同人誌を出したりもしていたが、「小説の神様」とさえ呼ばれ、華々しくモダニズム作家として文壇に登場した横光に比べ、中山はデビューこそするものの、決して脚光を浴びることはなく、中学校で教師をする傍ら、不遇な作家生活を送った。37歳で第7回の芥川賞を受賞。以後、堅実な作風で、文壇の一角を占めることになる。
 さて、その出世作、「厚物咲」が本書の巻頭に収められている。
 若い頃はともに苦労を重ねた2人の老人の話だ。主人公は瀬谷という老人だが、彼はもう一人の老人、片野の、老いるに従って偏狭さが目立つようになった性格を疎んじている。彼ら2人の曲折が語られ、やがて、片野は老いらくの恋に破れた挙げ句に、見事な厚物咲(という咲き方の種類らしい)の菊を残して首を吊る。残された瀬谷は、片野の死が、彼が子供の頃から保持していた「一度言い出したら覆らない強情さ」の故であることに思い至って慄然とする。
 片野の死に至る過程には、ちょっと推理小説のような趣もあって、エンターティナーとしての中山の資質もうかがわれるが、ともかく、解説の宮内豊氏が言うように、この作品においてすでに、「碑」や「信夫の鷹」へも継承されていく「運命にかんする中山義秀の、半生の辛苦であがなった手作りの思想がある」ことは間違いないところだろう。
 それは「救われない、えぐい人物たちが、作者の手でそのままに救われている」という、妄執の人生にもそれを貫き通してみれば愛すべきところがあるのだ、という「運命愛」だ、と宮内氏は言う。
 確かにそうには違いない。
 中山は、自分の祖父とその兄の境涯を描いた「碑」を、「鏡を見ていて、自分の顔が祖父のそれに似てきたのに気づき、自分も祖父のような人生を送るのではないかという思いにとらわれて書いた」と、別のところで書いているそうだ(ちょっとうろ覚え。大意は間違えていないはずですが)。
 そこには、人間の根っこにある性格とか、運命と呼ぶしかしょうのないものへの視線があり、そして、それへの作者の暖かいまなざしと、肯定がある。偏狭でも失敗ばかりでも、それでもそれを貫けば、そこには己の人生があるのだという、間に「それでも」を挟んだ、論理とは別種の信念であり、運命観であると言えるだろう。

 ところで僕は、かつて昭和10年代の歴史文学を考える上で、「時代の中で流されていく運命」といったものを歴史の中に読みとり、それを肯定することで、戦争期という暗い時代の中での作家および読者の運命をも肯定して、慰謝を得ようとする、というような思潮を見ることが出来る、と考えたことがある。
 その考えは今も変わっていないのだが、中山義秀の運命観もまた、それにある種マッチしたものではなかったか。
 もちろん、中山の場合は、思うに任せない作家としての半生がその下敷きとしてあるには違いない。しかし、そこに戦争という時代層の影響を読んでいくことは、間違いではないはずだ。
 こうした運命観は、歴史小説によく馴染む。歴史という遠景の人物を、後から振り返って眺めてみるのだから、その時々を生きていく今の人間を眺めるよりも、そこに貫くものを認めるのは易いし、そしてそれが歴史の醍醐味でもあるだろう。そして、中山には人間のえぐみをそのまま受け入れようとする姿勢がある。だから、中山の歴史小説には、独特の人間くささがある。
 しかし、である。
 その運命観には、どこかしら逃避的な詐術が含まれてはいないか。
 その逃避性は、作品に今ひとつ、強靱さをもたらしえないその一因ではないのか。
 このあたりが、僕の考えのひとまずの到達点だが、このあたりになると、作品そのものの分析という以上に、その作品への評価・好悪という面を含んでくるので、なかなかもう一歩踏み込むのが難い。
 逃避ではありながら、そこには人間の多様性を認める方向性があると思われるので、僕としても嫌いなわけじゃないのだが、「こんな人生だけど、それでいいじゃん」というのを乗り越えたところにも、また別の可能性は横たわっているような気がする。まして、歴史を題材とするなら、それを乗り越え、その刻々の人生を描いたところにこそ、人間の真実もまた描出されるのではないのだろうか。
(2002.11.28)


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中山義秀

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