新人物往来社編



『教科書が教えない歴史有名人の子孫たち』
 (新人物往来社
 2004年2月刊)

●印象には残らない


 読み終わってからけっこう日が経ってしまったというのもあるにせよ、なんら印象に残っていない。
 たぶんそうなるだろうなあと思いつつ買ったし、そうなるだろうと思いつつ読んだので、すべて計算のうちなのではあるが、なんだこのやるせない感じ。しかしまあ本読みには、こういう「何ら重要でない読書」の時間というのも必要なのだ。だって、そういう時期もないとパンクしてしまうから。だったら本を読まなければいい、と病気にかかっていない人が嘲笑うがキャラバンは進む。

●歴史フリークじゃない人向けの歴史書


 歴史に興味がおありですか、と問われたなら、満面の笑みで「いやまったく」と答えよう。
 もちろん、中学生時代に光栄の「信長の野望」とか「三国志」にはまった人間の一人として、それなりの知識と興味をもちあわせてはいる(なんだかんだ言われることも多いが、光栄(あ、いまは『コーエー』だっけか。なんでわざわざ社名をダサくしたんだあそこは)という会社がなければ、僕たちの年代の約半数は歴史に対する興味をほとんどいっさい持たずにここまできただろうと思う。そうした意味では偉大な会社だ)。でもまあ、それは人物ファイルなんかをぺらぺらとめくったりしたこともあるというレベルで、「歴史」への興味とはちょっと違うだろう。何となれば、それは「武将」への興味でしかない。
 日本史の授業でやっとこお待ちかねの戦国時代に入ったと思ったら瞬く間に江戸時代に入ってしまって、山中鹿之助も東郷重位も出てこない、武田二十四将なら全員名前をそらんじているのにテストは62点しかとれなんだ、というような男子は日本中で山のようにいることだろうが、僕も程度は軽いがそういう男子の一人だった、というだけの話である。
 大学の卒論は歴史小説についてだったが、それは歴史を記述しようとする人間の営みが面白かったからだ。歴史に向き合おうとする作家の心性が僕自身にはよくわからず、不思議だったんで勉強したというような部分もある。そもそもの歴史への興味は薄かったと認めざるをえない。
 そうした人間が読むのには、こうした新人物往来社あたりが出しているデータブックの存在というのは、妙に重宝するものだ。資料として、ということではむろんなく、暇つぶしの一助として。

●なぜかページが重いんだ


 で、この新人物往来社は「教科書が教えない歴史」シリーズみたいなのをけっこうずーっと出していて(最近は「事典にのらないナントカ」というシリーズになってるらしいけど)ぽつぽつ書名を見てると、やっぱり僕みたいな人をターゲットにしているらしいことがうかがえる。つまり、歴史大好きというわけではないけど、お手軽にデータブックとかで歴史についての豆知識みたいなのをつまみ食いするのはそこそこ好き、みたいな人ですな。
 ぶっちゃけて言うと、ここが出している「歴史読本」という雑誌を購読するほどじゃないけど、武将名鑑とか歴史有名人のその後みたいなのに興味はある、という人を、どうも読者層として取り込みたいらしい。あわよくば「歴史読本」を購読してもらえませんかのう、という下心もあるだろう。「歴史人物の常識疑問」とか「歴史有名人の死の瞬間」とか、ちょっと興味を引かれる書名がある。

 で、たぶんそれは戦略としては間違ってはいない。さっきも述べたけど、歴史SLGなんかの影響で、そういう層は思っている以上に多かろうと思うからだ。
 「歴史有名人の子供とか孫、子孫」というテーマも非常に興趣をそそられるものではあるのだが、これが、面白そうだと思って手に取った割に、妙に読みづらい。ページが進まない。
 なんでだろー、と悩みつつ読み進めていて、ようやく気がついた。文体が硬いのである。コーエーの武将データファイルなんかと比べてみるとそれがよくわかるんじゃないかと思うが、データファイルの方が手元にないのでそれはしない。
 でも文体が硬い理由はわかっている。執筆者を見てみると、大学の先生がほとんどなのだ。ぽつりぽつりと作家とか時代考証家(とゆー職業があるんですな。初めて知った)とか著述業といった肩書きも見受けられるが、大学教授以外にも高校の先生とか郷土史家とか、やっぱり先生と呼ばれる職業の人が多い。もちろん論文用の文体で書かれているわけじゃないけど、でもやっぱり多少もったいをつけて書いているという感じ。1項目につき2ページ程度しか紙幅がないから、余計なことは書けないのかもしれないが、それにしたって、という気もする。

 『陰徳太平記』に、大内義隆の辞世の句として、「討つ人も討たるる人も諸ともに、如露亦如電応作如是観」という辞世の句が伝わっている(後世につくられたものであろう)、人の生命は露のようにはかなく、電(いなづま)のように短い、という意味であろう。
(p.110「大内義隆」の項より。この項執筆小松郁夫氏)


 本書の中では割に趣向を意識した書き出しではあるのだが、やっぱり堅いよなあ。大内義隆は山口の戦国武将で、有力大名でありながら配下の陶晴腎に討たれちゃった人だから、

 守護大名時代の貴族趣味が抜けなかったばっかりに短気な部下に殺されちゃったのほほんとしたおっさん、というイメージが強い大内義隆である。大内氏を滅ぼした陶晴腎も結局は毛利元就に滅ぼされるわけで、戦国の世の流転のすさまじさったらない。

くらいにくだけた書き出しでもいいと思うのだが、残念ながらそういう砕けた調子は皆無だ。やっぱりこういう歴史関係のものとなると、史料にもあたらないといけないし、本職のかたの手ほどきがどこかで入らないといけないというのはわかるんだけど、実際の原稿はフリーライターにまかせる、というような手順はとれないものだろうか。
 だっていきなり『陰徳太平記』と言われたら、やっぱり普段から歴史に親しんでない一見さんの読者としちゃ、やっぱり引くでしょ。そんな聞いたことないような史料の名前をいきなり出されたら、敷居ががっつんと上がるですよ。いや、こっちがアホなのかもしれんけどさ。でもそのアホを読者として取り込みたいのであれば、無闇に格調を高くしないほうが得策ではなかろうか。

 また、やっぱり書き手としては、戦国とか江戸とか維新期あたりの層が厚いのであろうと思う。というのは、この文体が生硬になる傾向は鎌倉期以前の記述について特に顕著であるように感じたからだ。書き慣れていない、という感じがする。やっぱり、戦国期専門でフリーライターならそれなりに需要もあるかもしれないけど、上代中古専門でライターと言ってもそうそう仕事ないだろうしねえ。そうなるといきおい、大学の先生という選択肢しかなくなるわけだろう。
 でもこの本、項目が時代順に並んでるから、巻頭にいきなり読みづらい文章がくることになる。しかもトップが物部守屋、次が大友皇子ときて、さらに村国男依だ。壬申の乱で大海人皇子について戦功をたてた地方豪族だそうだが、正直これが初見の名前である。
 なじみが薄いところから読者に読んでもらわないといけないという構成になっている。山にたとえれば、いきなりの断崖絶壁フリークライミングで、そこを越えて戦国に入ればのんびり高尾山遊覧観光しかも下り坂なのだ。明治期の有名人ともなれば、その孫とか曾孫が現在も政治家とかで有名人であるというケースも入ってきて、さらに馴染みやすくなる。
 もうこうなったら、最初に明治期を持ってきて、順に時代がさかのぼっていく構成でもよかったのではないかと思うんだがどうか。
 加山雄三は岩倉具視の血を引いている、といったようなへー、そうなんだ、というような記述もあり、テーマ自体も、中身的にも面白いのだが、とりあえず不必要にハードルが高い、というのだけが玉に瑕の一冊であった。読んでいるうちに馴れて気にならなくなってくるとはいえ、本の趣旨からするとそぐわない気がする。
(2006.11.01)


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