リリー・フランキー |
『日本のみなさんさようなら』 (文春文庫PLUS 2002年3月刊 原著刊行1999年) |
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えー、リリー・フランキー『日本のみなさんさようなら』。 いま、リリー・フランキーについて語るのは、ちっとばかし勇気がいる行為だと言える。それはつまり、リリー・フランキー自体が、「ちょっと上」的な指標になっちゃってるからだ。 「かってに改蔵」で、「リリー・フランキー好き、とか言ってるやつは文化人ぶっててヤダ」と書かれたように、あるいは永江朗の「批評の事情」で、「『うーん、あれはわからん』という編集者は、少なくとも三十代以下を対象とした雑誌の現場は外れた方がいい」と書かれたように、「あれいいよねー」とも、「あれちょっとわかんなくて」とも言いづらい、一種のクオリファイ・ポイント。それが現在のリリー・フランキーである。 まぁ、とりあえず僕自身は、この本をケタケタ笑いながら楽しく読ませてもらったので、三十代以下の完成は年齢相応に持ち合わせているらしい。が、しかしだからといって、全面的にリスペクト、という気は、あんまりしていなかったりする。多分、江藤淳とかは、いま生きてたら嫌いそうな芸風だね。 永江の前掲書では、リリーのコラムが、私的な、印象論的な批評というスタイルをとりつつ、その実、この社会自体を選別するという核を持っていることが指摘されている。 そりゃまぁ、その通り、という感じだが、しかしだからといって、リリーのコラムが私的な感性をベースにしていることは否めない。そこに、全面的な同意がしかねる理由もあるのだろう。 もひとつあるのは、リリーの描くイラストである。この本は、日本映画の紹介をしていく本なのだが、映画を1本紹介するのに、1ページのコラムと半ページのイラスト(というか1コマ漫画か?)、それに映画の紹介文をもう半ページ、という構成をとっている。まわりくどく言ったけど、つまり2ページに1本の割で映画の紹介が載っている。このイラストが、ヘタウマなんだかヘタヘタなんだか、洗練されてない感じで、少なくともあんまり僕自身は好みじゃない。それよりは、もっとコラムの量を増やしてもらった方が、という気がする。宇津井健のピチピチ全身タイツで有名になった「スーパージャイアンツ」を取り上げている時なんて、FAX送信したイラストをそのまま載っけてるし、せめて単行本にするときに直しなさいよ、という気がする。 ただ、それは要するに、このイラストが、要は絵としてではなく、情報として重要であるというスタンスを物語っているわけで、簡単な話、このアクの強いイラストを見ただけで、その映画の紹介がどんなもんだったか思い出せるという、一種の目次のような役割が、そこに込められているのだよ、ということでもあるんだけど。 でも、僕個人は、無い方が良かった。そんだけのこと。 そして、リリー・フランキーが一種の指標であるというのは、彼について、あるいは彼の本について語るとき「そんだけのこと」からなかなか抜け出せないというもどかしさに直結している。そこから一歩抜け出すなら、それはこの本に対して確定的な評価を自分の責任において下すということだし、ここまでにぐだぐだと述べてきた事情により、それはなかなか難しいのである。そういうポジションのものとして、80年代後半に青春を送った人なら、いとうせいこうがホットドッグプレスに連載した「いとう老人もの申す」を思い出すといいかもしれない。かなり似たテイストだと思う。 ただ、少なくとも「笑える」、という点では保証付き。これで笑えないというのは、それは確かにセンスが欠落していると言えるかもしれない。 (2001.4.13) |
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