坂内正 |
『鴎外最大の悲劇』 (新潮選書 2001年5月刊) |
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●脚気と鴎外作品はつながるか本書は、日清日露戦争を通じて日本軍最大の病禍となった脚気(かっけ)に対し、軍医としての鴎外がいかなる態度をとってきたのか、という面から、鴎外という個人を考えよう、という本であります。 具体的に言うと、鴎外は徹頭徹尾、軍の兵食については白米をもってよしとする立場をとり続けており、その立場の上から論陣を張った。脚気は周知の通り、白米には欠けているビタミンB1の欠乏症として発症する病気であって、野菜や魚、肉などの副菜、あるいは麦飯などの雑穀類を主菜とすることで発症を防ぎ、また治療することができる病気である。 しかるに、大量の白米をもって主たる栄養源とする旧日本軍の白米中心の兵食は、その脚気に対して防塁となるどころかその病禍をむしろ推進し、結果、鴎外自身も随行した日清戦争での台湾戦線では、約2万の兵士のうち、その90%、約18000人が脚気に罹り、そのうち10%、約1800人が死亡したという。 「舞姫」にも上司として変名で登場する石黒忠悳、東京帝大医科大学学長となる青山胤通らと鴎外を貫く「白米兵食推進派」ラインは、脚気の原因・治療法がまだはっきりとしていなかった頃だけでなく、統計上のデータからどうやら麦飯が治療・防疫に有効らしいとの認識が広まりつつある中にあっても、その論を翻さなかった。 著者の坂内氏は、言論者・論争者としての鴎外が、この脚気をめぐる論争の中で、広く渉猟した資料から、自らに都合のいい資料のみを取り上げ、都合の悪いものは黙殺する論法でもって、脚気治療の途を遅らせる役割を果たした。しかもそれは途中からほぼ確信犯的な趣を持つにいたっている、とする。そのことが、後年、鴎外をして史伝にむかわしめ、そしてその史伝の上にも暗い影を落としている、と結論づける。 あまり鴎外学の上でも参照されてこなかったらしい医学関係の論文などを丁寧にあたっているようで、脚気惨禍と、その中での鴎外の動きについては、非常にわかりやすい。著者の努力には頭が下がる。 さて、読んでいてそれなりに面白くもあり、教えられることも多かったが、研究書として考えると気になる点もいくつかある。 まず、このテクスト主義の世の中にあって、これが作家論であること。テクスト主義は、作家の考え方や人間性は、意識的無意識的を問わず作家の書いたテクストの中に溶出するもので、テクストによらない作家論は推測の域を出ない、とするところに立脚する。 ところが、本書においては、医学関係の雑誌や報告書への鴎外の原稿という形でテクストが参照されてはいるものの、肝心なところで、「これはこういうことではないだろうか。そう考えるとこれこれも納得できるのである」という形で、テクストをリファレンスしない推測が、検証を経ないままで断定されてしまう。 もうちょっとわかりやすく言うと、実証性が足りないんじゃないのかということだ。一番気になったのが、「鴎外の史伝は、それまでの、西欧の流行の論を演繹して書いていた小説とは違い、膨大な資料から帰納して書かれた小説である」という指摘と、「帰納法によって史伝を書くことで、どうやら自分の脚気に関する論が間違っていたと気づいた鴎外が、自分の傷を癒していたのではないか」という指摘。 実際、こうして文字にしてみても、なぜそれで鴎外が癒されるのか、僕にはちょっとよくわからなかったのだが(まぁ、史料という確固たる事実をベースに書き進めることが、推論をベースに論争しなくてはならなかった脚気論争と逆行する方法であるから、そこに安心感があるのだ、ということかな、と思うのだが、それってただの気散じであって、癒しではないわな)、この部分の実証性が、かなり弱い。 まぁ、何かに憑かれたような精緻さで史料を集め、大部の史伝を次々とものしていった鴎外の心中に、脚気問題からの逃避があったという考え方それ自体は、なるほどそうかもね、と頷ける部分もあるのだけど、今のままだと、単に、「ああ、そうかもね」レベルの話だと思う。序盤で「舞姫」に触れたり、中盤で「食堂」などに触れたりしている部分はあるにしても、一番、作品と脚気問題についての関わりが大きいと筆者がしているのはこの史伝に関しての部分なんだから、できればここでもっとテクストに即しての実証に努めるべきではなかっただろうか。 ●立論上の問題点さて、いささか実証性に欠けるところなしとはしないが、「脚気問題への鴎外の関与は、実は鴎外自身にとっても、従来指摘されていたよりも重大な意味を持っているのではないか」という坂内氏の考え方には大いに興味をひかれるものがある。 ただ、それを指摘する途中、鴎外の論争術が、「統計資料から自分に都合のいい部分のみを抽出して、資料の意味を改編し、自分に都合の悪い実験や資料は黙殺する」といった虚構性を持っている、と言うときなどに特に顕著なのだが、どうにも坂内氏自身の、鴎外への否定的な感情が先走りしすぎるきらいがあるのはどういったものなのだろう。 (前略)それが霞亭自身の言葉によってはっきり否定されると、(引用者注:鴎外は)自分が「脚腫」と述べてきたことにはふれず、(五)「下肢の知覚異常、所謂しびれに至つては、霞亭は未だ嘗てこれを説いたことがない」と、これがなければ脚気ではないと言わんばかりに述べる。だが二ヶ月前の二月末の弟碧山への手紙には、気色飲食とも常のようだが「只歩行いたし候に跌し候而こまり候のみに候」(七)とあるのである。跌−あやまる、つまずく手脚の関節を外す、これは立派な「下肢の知覚異常」ではないか。(中略)それを無視して作者は「霞亭は未だ嘗てこれを説いたことがない」というのである。大才とはまた必要に応じて失念忘却する才のことをもいうのであろう。 (p.289 第八章「退官と考証史伝物」) 「北条霞亭」の後伝となる「霞亭生涯の末一年」で、霞亭の死因に鴎外が執拗にこだわったことを論じる段の一節を抜き出した。 この段は本書の中でも特に面白く、また、この霞亭自身の死因への言及に、鴎外の脚気問題への拘泥というか、脚気問題という重い影にとらわれてしまっている鴎外の意識のはたらき方をみたいとする坂内氏の意見にはなるほどと思えるところが大きい。 しかしそれとは別に、なぜここで「大才とはまた必要に応じて失念忘却する才のことをもいうのであろう。」という嫌味めいた言辞が述べられなくてはならないのか、そこに著者の心理の動きを見ても誤りにはならないだろう。 なるほど、「闘う家長」鴎外の戦闘的な側面については、古くから指摘されてきたことでもあり、また、その論争の上では、牽強付会とも言えるロジックが華麗な名文の裏で駆使されているということも、今日、特に反対する者はいないだろう。 しかし、それは単なる事実であって、そこになぜ著者が皮肉を差し挟まねばならなかったかということは、これはまた別の問題とみなすべきだ。 論文に著者の主観や感情が混入すべきでない、などというつまらないことを言うつもりもないが、しかしここで著者は明らかに、鴎外の執筆姿勢をこき下ろそうとしている。 著者のそうした姿勢はここだけにとどまらない。実際、この第八章にたどり着くまでに、読者は嫌というほど、こうした著者の感情の噴出のような文句を読まされる羽目になる。 こき下ろしたっていい。しかし著者はなぜ、かくもしつこく、鴎外をこき下ろすのか。それは単に鴎外のやり口に対する憤りというだけのものなのか。 ここで少し気になるのは、本書には大量の書物が参考文献として巻末に記されている中で、鴎外の論争スタイルなどについて、しばしば、山室静や谷沢栄一の評言が援用されることで、読んでいて、(彼らの言葉が少し強いせいかもしれないが)ちょっと特殊な位置を、彼らの言葉からの引用が占めているように感じられたことだ。 どうやら、鴎外に関しては、その詭弁的なロジックを駆使する側面を否定的にとらえて再評価していこうという流れがあるらしく、それが山室−谷沢−坂内の各氏をつないでいるようすである。坂内氏もまた、その流れの延長上から、鴎外を批判しているということになる。その流れの中で、鴎外をとらえよう、批判しよう、という意識が、坂内氏をして執拗な(それが不必要とまでは言わないが、いささか多すぎる)論難・皮肉を書かせているのではないだろうか。 特定の潮流の上から作家を論ずるのは、それは全然問題ない。学問というのはそうして発展していくものでもあるし、それはそれでいいのだ。 しかしその流れの上に立ち、鴎外の誤りは、単に医学理論面で間違えた、というだけではなくて、後に水俣病などを早期にくい止めることなく拡大させてしまったのと同じ、人間としての決定的な誤りであるのだ、とあとがきなどで指摘するとき、どうも坂内氏の鴎外理解には、浅いというか、一面的な部分があるように思えてならない。 それは谷沢栄一の批評の縮小再生産と言ってしまってもいいかもしれない。そこに、坂内氏自身のプラットフォームとなるべき、オリジナルな視点は存在しているのだろうか? 本書の内容には瞠目すべきところが多いし、そこで指摘されていることが正当であれば、鴎外のおかしたあやまりには人間的な誤りという面もあるだろうが、うーん、しかしそれを証しだてていく話の流れは、実証性をいささか欠くといったところもふくめ、結局、結論が少し先行した中で推測された流れであるようにも感じられる。特定の流れの上に立って論を進めるというのは、常にそうした危険性をはらむものなのだ。そしてそれは、ほとんど自動的に、論を進める中で、何か見過ごされたものがあるのではないかという危惧を読者に抱かせるだろう。 本書は鴎外の一面を描き出している。しかし、それを鴎外の全体像と考えてしまっていいのか、と問われたら、それもちょっと問題があるだろうと思う。それでいいんだ、と言われてしまえばそれまでのところだが、一面的であるということは、やはりどこか立論に穴があるということでもあるのではないだろうか。 (2003.3.9-10) |
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