ジャック・ドラリュ



『ゲシュタポ 狂気の歴史』
 (講談社学術文庫
 2000年6月刊)
 えーとですね。著者のジャック・ドラリュは、第2次大戦中、レジスタンス活動のかどで実際にゲシュタポにとっつかまって収容所に入っていたこともあるというマッチョな経歴のお方です。
 そういうマッチョな人の本なので、ゲシュタポ、さらにはナチスという存在について、つぶさにその変遷をたどるという社会学的な内容を持ちつつも、実際にはドキュメンタリーに近い手触りの本になっています。要は、良くも悪くもアカデミックでない。
 「社会学の本を」とか「現代史学の資料を」という気持ちで書いてないからでしょうね。
 そんなわけで、講談社学術文庫の小さな活字で500ページという分量の割に、手触りとしては重くありませんでした。重くありませんでしたが、これが読み終えるまでになぜか2週間以上かかっています。
 読んでいて、自分で思っているよりもページが進まないんですね。
 これには、片岡啓治さんの訳文が、今ひとつ文法的にこなれていなくて読みづらい、という理由がひとつあると思います。また、組織の内面を描くという特徴上、やたらと固有名詞が登場するので、それもすんなりと書かれてあることが頭に入らない理由になっているのでしょう。
 しかし、もうひとつ、読み手であるこちらの問題として、「今ひとつ内容が頭に入っていない」状態でページをめくるのに、他ならぬ僕自身が抵抗を感じているから、ということも言えるんじゃないか。これが、例えばたいしたことのない小説だと、今ひとつ内容が理解しきれてないままでも、もうちょっとサクサクとページをめくっちゃうんじゃないか。そんなことを思いました。

 今はもう、そういうのは流行らなくなりましたが、アニメとかでも80年代アタマくらいまでは、ナチスをイメージした敵というのが、割とよく登場してました。
 代表格は「ファーストガンダム」とか「ルパン三世」かな。ジオンの設定はナチス系だし、ヒトラーの隠し財宝を云々、みたいな話は多かったし。もちろん、それ以前となるとさらに多くて、「宇宙戦艦ヤマト」のガミラスにはドメル(ロンメル)やヒス(ルドルフ・ヘス)といったナチス幹部の名前をもじったような将軍が多数登場しますし、「サイボーグ009」のブラックゴーストにも、ところどころにナチスの面影はあります。
 もともと、ミリタリーとアニメは親和性が高いので、そっち方面から設定が流れていくことも多いわけですが、その後も、「キン肉マン」のブロッケンはアメリカじゃNGだったとか、「新スパイ大作戦」でも、そのテの話があったりとかして、まぁ、オタクやってると、何かとナチスがらみの話には触れる機会が多いわけですよ。
 で、そんなこんなもあって、ナチスという存在は古傷のように「重たい」存在になってしまっていると思います、少なくとも僕の中では。
 正直、もうアニメやらなんやらでナチがらみの話をするのには飽きてるわけですが、それとは関係なしに、根づいてしまっている部分というのはやっぱりある。
 そのへんが、本書を読む中でも無意識に引っかかってきて、「飛ばし読む」ことが出来なかったのではないか、というわけです。

 えー、いい加減、長くなってきました。
 巻末、山下公子氏の解説でもあるように、本書の記述にはいくつかの「間違い」が指摘されています。このへんが、マッチョな人が書くドキュメンタリーたる所以ですが、本書の不幸は、ナチス研究の「古典」という地位をすでに占めていたことです。
 アカデミックではないにも関わらず、アカデミックな扱いを受けてしまう。
 そうすると当然ボロが出てくるわけで、これはやっぱりよろしくないんですな。信憑性が薄れる。
 そうなってくると、アンチナチスのプロパガンダとしての性格ばかりが浮き上がってくることになる。
 世の中、シュプレヒコールをあげるばかりではどうにもならないので、そこにある程度以上の信憑性がないと、言っていることの善悪はともかくとして、やっていることはゲッペルスと五十歩百歩の「事実を隠蔽したかけ声」でしかない、という結果に終わりかねません。
 考えてみれば、戦後、アニメや映画で見てきた敵役ナチスというのも、そうした「かけ声」でしかなかったのかもしれません。そしてまた、昨今のアンチ・テロの怒号にしてもそうなのかもしれない。
 別段、ナチを養護するつもりもありませんが、そうした「かけ声」が、ネオナチスや「新しい歴史教科書」という形での「反撃」を許す隙を作ってしまったことも疑えないのではないでしょうか。
(2002.5.7)


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