壇一雄



『小説 太宰治』
 (岩波現代文庫
 2000年2月
 原著刊行1949年)

●壇一雄の印象


 なんかこう、感想を書こうとすると重くてウザくなるタイプの本ではなかろうかと思う。だからあんまり書きたくはないのだけど、まあ、読んだので書く。
 といっても、太宰についての思い入れを書こうとするとどうやったってウザめになっちゃうのはやむをえない。だいたい多くの人は似たようなことを思ってるし、ファンの数自体が文学者としては尋常でないので、面白い意見なんてその中に埋没しちゃうか、あるいは研究書や論文の形でしか出てこない。
 したがって、太宰については書かない。
 そうすると、とたんに書くことがなくなってくるので困るのだが、まあ、これは太宰についての本であると同時に壇一雄についての本でもあるのでそのへんを。

 実は壇一雄についてはぜんぜん思い入れがない。たしか、死んだ母親が『火宅の人』を読んでいるのを見かけたことがあるけれども、僕自身が太宰のファンということもあって、壇一雄についての認識は「太宰のフォロワー」「太宰に熱海で置いてけぼりにされた人」「壇ふみのお父さん」というくらいしかない。というか、今の若い人は壇ふみをどのくらい知っておるのか、というのも不安なのだが。
 壇ふみさんを説明するためには、昔、NHKで「連想ゲーム」という番組があってね、というところから説明せねばならない気がするが、さすがにそこまで悠長にしていられる話でもない。
 で、話が戻るけど、この本を読んで何か認識が変わったかというと、実は変わっていないから困るよな。
 解説で沢木耕太郎氏も書いているが、太宰と壇では、根底に持っている資質がぜんぜん違うと思う。沢木氏が例に挙げている「云おうか。泳ぐに限るのである。」という一文はそれがあらわれている箇所として確かに代表的なものだ。
 でも、壇は太宰のフォロワーでもある。「云おうか。」というはにかみを含みながら、読者に直接耳打ちしてくるような逡巡の言葉が、告白体を得意とした太宰からの強い影響を物語っている。

●文壇・栄達心・引力


 少し話を急ぎすぎたかもしれない。沢木氏は壇と太宰の間に横たわる決定的な違いを、壇の「アナキーではあったが根源的な健康さ」と位置づけている。太宰の側に立つなら、決して健康に生きることが許されない、煉獄にとらわれたままの魂が太宰にはあったとも言いうるだろうか。
 でも、そう言ってしまえば非常にスッキリとまとまりはするんだけど、なんかそれだけじゃないような気もする。『深夜特急』をはじめ、沢木氏の著作を読んだことがあるわけじゃないのだが、なんか、沢木氏的な理解の仕方かなと。

 じゃあ僕なりの理解の仕方はと問われるとなかなか答えに窮するけれども、壇の側には、やっぱり一度は天才として才能において劣ることを認めた太宰を、どこかでライバル視したい気持ちがあったんじゃないかなと思う。負けん気というか、栄達心というか。
 太宰の文学界での出世欲というのは、川端への「私に名誉を与へて下さい」の手紙にも見られるようによく言われることだけど、太宰の場合は、その名誉の向こうに救いみたいなものを求めていて、名誉が最大の目標じゃなかったという気はする。だからそれによって金銭を得て暮らしていこうという目論見ももちろんあったんだろうけど、そうやって作家として出世することで、どっか贖罪が果たされるんじゃないかという希望みたいなもんがあったんじゃないかと。
 壇の場合は、それによる救いとかいうんじゃないような気が、本書を読んでいてしたんだよなあ。

 詩とか小説は、もちろん創ると。それで生活もしたい。でも、それによる名誉心は太宰よりも薄い。どっちかというと、太宰しか目に入ってない、というとちょっと極端な書き方になるけど、でもそういうことじゃないですか。
 最初は同じ文学を志す仲間として太宰を見ていたんだけど、だんだん太宰に引きずられていく自分に焦りが出てくる。太宰が持っている引力から、太宰をライバルとして視ることによって離れようとしてた、というふうに僕は思うんですが。
 結局、出征によって物理的に太宰から離れることで、壇としては自分にあって太宰にない健康さに気づく。というか、太宰が望んでいる贖罪への気持ちが自分にはないということに気づいてるんだろう、と僕は読む。
 それによって、自分がフォロワーたりえないことに気づいて、自分の文学というものを恢復していったのが戦後の壇一雄なんじゃないか、というのは、他の作品を読んでないからちょっと先走った感想ですけど。
(2005.12.18)


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