多木浩二



『戦争論』
 (岩波新書
  1999年9月刊)

●漢気と使命感のクラウゼヴィッツ否定


 「戦争論」と言ったらアレである。クラウゼヴィッツの「戦争は政治におけるとは異なる手段をもってする政治の継続にほかならない」(戦争とは政治の一形態である、というような言い方をすることもある)という主題で有名な彼の主著。あれも『戦争論』という書名だった。
 けどあんた、クラウゼヴィッツは19世紀初めのプロイセンの軍人さんやがな。それが今でも通用するかいな。と多木浩二氏は言うのである。
 クラウゼヴィッツの説は、けっこう奇妙な説だ。そう言われるまでは誰もそうは思っていないのに、「戦争とは政治の継続だ」と自信たっぷりに言われると、ああ、そういう考え方もあるのか、と納得してしまう。
 納得せざるをえないのは、これがそうそう誰にでも検証のできる主題ではないからだろう。検証のできる立場にいる人間にしても、そんなことのために戦争を起こすわけにはいかないから、結局、誰も検証はできないのである。

 本書は、クラウゼヴィッツの言を否定することからはじまる。
 そして1冊を通じて20世紀の戦争を検証し、最終的にどこに行き着くのかというと、「ほら、クラウゼヴィッツは今では通用しないでしょ」というところなのだ。表だってそうは言わないが、そういうことなんだと思う。
 いや、すげーすげー。多分、なんか使命感みたいなものがあったのだろう。紆余曲折して結局スタート地点に戻ってくる、という考える道筋自体に意味がある哲学のような作業は、そうでないとなかなかできない。まして、あんまり愉快な題材でもないし。
 ちなみに、一周して元のところに戻ってくる、というのは、決してこの本をけなしているわけではないので誤解のないように。

 しかもこれ、偉いのは1997年から執筆が開始され、1999年に上梓されているということである。結果として、本書の最後にはコソボ紛争が記されることになった。つまり、本書には世界貿易センタービルの倒壊も、アフガニスタンでの対タリバン戦も、イラク戦争も書かれていないのだ。
 考えてもみてほしいのだが、その当時、戦争とは何なのか、という問題を、どのていど日本人が主体的に考えていただろうか。言っちゃなんだが、いまどき戦争である。それをここまで正面から考えるというのは、今ならまだしも、日本が最も戦争から離れていた当時としては難しい。
 あと3年、いや、あと1年して本書が書かれていたら、本書の内容は色々と変わっていたことだろう。そうした意味でも本書は貴重である。

●戦争機械


 多木氏の使命感は、そのいっそ愚直と呼びたいような方法論となって現れる。
 ときにベンヤミンを引用したりするものの、具体的に多木氏がとるのは、戦争という事態にあたって、国家という機構がいかに本末転倒的に機能するか、戦争が目的化し、歯止めをかけられなくなっていくかを、過去の戦争ならびに戦争に突き進んでいく時期の国家にあたって証明することだ。
 近代の成立とは、国民国家の誕生を意味する。多木氏はこの国民国家が常備軍の所持を条件としていることなどから、カントを引きつつ近代国民国家には戦争が前提として組み込まれていることを示唆する。この意味において近代国民国家を「戦争機械」と呼んだりもするのだが、ここでの「戦争機械」という概念は、ドゥルーズの言う「戦争機械」とはいささか違っていることには注意したい。もっとも、多分多木氏としては、ドゥルーズの用語としての「戦争機械」は知っていたと思うので、用語としてはそれを借りつつ、意味合いとしてはベンヤミンの『暴力批判論』などの思想をそこに盛り込んでオリジナルの用語として使っているという感じだろうか。

 ちなみにドゥルーズも、国家とはその前提として戦争を行うことを盛り込んでいるという意味で「戦争機械」という語を用いたのだが、この「戦争機械」は国家のもうひとつの顔である「国家装置」と対立するものであるとして、肯定的に評価される概念だ。
 これはドゥルーズが、戦争とは切断し分節するものとして、組織し統合する国家を切り崩すものであるととらえたことによる。つまりドゥルーズにおいては戦争の暴力性よりも、国家というもののもつすべてを取り込んで組織化する性格の方が問題だったということだ。
 ともあれ、国家は戦争機械であることを止めるわけにはいかないので、戦争機械としての側面を国家装置によって統御しようとする。
 しかし、ここで多木氏の説に戻るなら、その統御の試みは常に失敗し、かわって暴力の正当な行使という戦争の醜悪な残虐性が表に立つことになる。
 したがって多木氏はここで、戦争を前提とし戦争を統御しようとしつつ決してそれが果たされることのない近代国民国家というものの、破産宣告をしているというふうに考えることもできるだろう。多木氏とドゥルーズの概念は、その意味では実は矛盾してはいない。
(2005.2.25)


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『天皇の肖像』
 (岩波現代文庫
  2002年1月刊
  原著刊行1988年)

●『五勺の酒』の天皇と絵ハガキ


 中野重治に『五勺の酒』という短編がある。あると言いつつ、僕もちゃんと読んだわけじゃなくて、たしか学生時分にちらっと冒頭だけ読んだのと、江藤淳氏の『昭和の文人』に収められている中野重治論でその梗概を知っているくらいなのだが。
 戦後、日本国憲法が発布されたとき、酒が五勺ずつ、各家庭に特配された。その特配の酒に酔いつつ、中学校の校長が、共産党員である旧友に宛てて手紙を書く、という仮構の上に、憲法成立への国民の無関心と共産党の無策を酒に酔った「クダ」として指弾しているのがこの小説だ。
 その中に、次のような一節がある。

 だいたい僕は天皇個人に同情を持っているのだ。原因は色々にある。しかし気の毒という感じが常に先立っている。むかしあの天皇が、僕らの少年期の終りイギリスへ行ったことがあった。あるイギリス人画家のかいた絵、これを日本で絵ハガキにして売ったことがあったが、一目見て感じた焼けるような恥ずかしさ、情けなさ、自分に対する気の毒なという感じを今におき僕は忘れられぬ。おちついた黒が全画面を支配していた。フロックとか燕尾服とかいうものの色で、それを縫ってカラーの白と顔面のピンク色とがぽつぽつとおいてあった。そして前景中央部に腰をまげたカアキー色の軍服がたがあり、襟の上の部分へぽつんとセピアがおいてあった。水彩で造作はわからなかったが、そのセピアがまわりの背の高い人種を見上げているところ、大人に囲まれた迷子かのようで、「何か言っとりますな」「こんなことを言っとるようですよ」「かわいもんですな」、そんな会話が−−もっと上品な言葉で、手にとるように聞えるようで僕は手で隠した。精神は別だ。ただそれは、スケッチにすぎなかったが描かれた精神だった。そこに僕自身がさらされていた。「まるであれだ……」立ちあがって腰をまげた恰好で見られている姿から連想されたその「あれ」を、その時も僕は、言葉では、心のなかででもいわなかった。ここへも書かぬ。それはできぬことで、またしてはならぬことだ。隠そうとしておさえた手は僕の人種としてのそれだった。それは純粋な同胞感覚だった。どうして隠さずにいられたろう。僕は共産党が、天皇個人にたいする人種的同胞感覚をどこまで持っているかせつに知りたいと思う。
(江藤淳氏の前掲書から引用)


 江藤氏は、この『五勺の酒』のもうひとつのテーマとして、この同胞感覚を重く見る。モノが天皇で、引用しているのが江藤淳氏なので、それを検討もせずにそのまま受け取るわけにもいかないが、ここではその江藤氏の読みはひとまず措いておく。
 本書、『天皇の肖像』を読んでしばらくして、僕は中野重治のこの文章は、戦前から戦中にかけて天皇の写真が「御真影」として各学校におかれていたという事実を下敷きにしてとらえなくてはならないものなんじゃないかと、ふと思い当たったのだった。

●「御真影」と権力の視覚化


 本書の内容について説明をしておかなくてはならないだろう。
 この本は「御真影」についての本だ。戦後まで、日本のほとんどの小中学校には、「御真影」というものが飾られていた。一口で言ってしまえば天皇の肖像写真だ。第2次大戦中まで、日本の子どもたちはこの肖像写真の前で礼拝をおこない、教育勅語を奉読して、臣民教育を施されていた。
 この御真影がどのような役割を各地で担ってきたかについては、すでに多くの研究があるんだそうで、巻末の参考文献にも多くの書名が見える。多くは教育論かあるいは社会学、権力システム論からの言及のようだが、写真史の上からも研究がなされているらしい。
 それらを参考にしつつ、本書で多木氏がつまびらかにするのは、この御真影がどのような過程で、どのような思惑で生み出されたのかという点である。

 この天皇の肖像写真は、自然発生的に生まれてきたものではない、と多木氏は主張する。それは「権力の視覚化」という目的意識のもと、きわめて人為的に撮られ、また制度化されたものなのだと。
 江戸時代から明治時代へ時代が移行し、権力構造が変容するとき、新政府の人々は、権力の頂点としての天皇を民衆に知らしめる必要に迫られた。当然と言えば当然のことで本書冒頭で多木氏が言うように「封建時代には、民衆の現実生活に天皇が権力として入りこむ余地はなかった。民衆にとってみれば、天皇の存在は知っていても、なんら直接の関係はもたない存在であった」のである。
 こうした天皇と民衆との隔絶は、必然的にこれから新国家を建設していこうというときには害悪となる。新政府は「尊皇」のキャッチフレーズのもとに倒幕に成功したのであり、幕府にかわる新たな統治者としての天皇の顔が民衆に見えていないというのは、新政府が新たに国家を建設していくための基盤となる意識が、民衆に希薄であるということに他ならない。
 かくて、大久保利通を中心に、まだ若かった明治天皇への統治者としての教育と、民衆への権力の視覚化が両輪となって推進されていくこととなる。

●錦絵から肖像へ


 権力の視覚化、つまり民衆に天皇を「見せる」ことのうえで、最初のメディアとなったのは錦絵であった。
 興味深いというか、面白いなと個人的に思ったのは、幕末ごろから視覚情報化されたニュースという位置づけとなっていた錦絵が、たとえば明治天皇の即位の礼を神武天皇の即位として描いたりする擬古絵のスタイルをとるのが、錦絵が伝統的にとる比喩のたわむれのポーズであるという指摘だ。事実を通俗的な演劇(人情もの)の延長線上で、民衆にわかりやすいレベルへ落とし込んでいたわけで、風刺の要素の多寡にかかわらず、たとえば新聞のカートゥーンに近いものだったわけだ、この時代の錦絵は。
 それはともかく、大久保らの思惑とはかけ離れた形ではあったが、メディアは天皇の姿を民衆へと伝えはじめた。一方で新政府側は、各地への天皇の巡幸を企画する。民衆への直接の「顔見せ」である。
 そこからさらに当時の写真家である内田九一による肖像写真の撮影、洋画家の高橋由一による肖像画の制作を経て、明治21年に御真影が誕生する。特筆すべきはこの明治天皇の御真影が、当時の紙幣に神宮皇后らの肖像画を描いたお雇い外国人キョッソーネによる肖像画だったということだ。それを丸木利陽という写真家がさらに撮影し、これを肖像写真として利用した。
 この間のそれぞれの事情についても、本書は新鮮な驚きをもたらしてくれるが、今、そこまではとりあげない。しかし、この御真影と教育勅語によって完成する臣民教育体制が、実は儒学者元田永孚らによって持ち込まれた儒学的イデオロギーと密接に結びついていることは、下のような文章によって示しておこう。

 元田は、維新以来の教育の方法は欧米の文明に準拠し、たしかに法律、科学技術、経済等々については、はるかに知識は広くなったが、日本人の魂が欠けている、日本では教育は日本人の魂を養成することだ、それが欠けていては教育はない、と考えたのである。この元田が天皇の教育で示したような儒学的考え方は、すでに維新政府の政治として現れていた。
 (中略)藤田省三氏によると、「大教宣布」は「政」と「教」の並行が宣明されたことである。藤田氏は、維新当時のいわば急進的政治家が、天皇制国家の集中的形態を近代の前提としての絶対主義にすることができず、政治的なものと伝統的な道徳との妥協をはからねばならなかったことを指摘している。この伝統的道徳こそ、天皇教育を進める内容の骨格であった。藤田氏は、この「教」において模範的人間とされたものは「「孝行」を中心とする伝統的倫理への傾倒のなかに主体的エネルギーのすべてを流しこむ伝統志向型パーソナリティ」であったとしている。
 つけくわえていうなら、明治政府はこのパーソナリティを称揚し、その人為性を自然化することに成功した。人為性を自然化する操作こそ、現代の神話の仕組みであり、人びとはもはやそれを神話とは感じないのである。民衆が自然にそのなかに生きるようになったとき、天皇制支配のもっとも重要な仕組みである、”下からの呼応”ができあがった。教育勅語が発布されると、民衆はそれに呼応するようにふるまったし、あとでくわしく述べるように、「御真影」の場合も上から押しつけられなくても、希望があれば下付すると上が言いさえすれば、すべての下が一せいに願いでるという事態が生じたのである。この下からの呼応が生じたときに、支配機構としての天皇制は一応できあがったといえよう。

(p.59〜60「第2章 和魂洋才と明治維新」より)


 なお、私見ではあるが、昨今はやりの仕える主体のないナショナリズム、ぷちナショナリズムが、ここで述べられている「支配機構」から「上」たる天皇をスコンととっぱらった形に酷似していることは、もちろん偶然ではない。が、なんか茨の藪に踏み込むみたいになっちゃうし長くもなろうから、ここではそれには触れない。

●肖像の政治性


 話は、ここで『五勺の酒』に戻る。
 冒頭で触れた江藤淳氏は、この小説の中学校長の言葉を、小説・中学校長・酒に酔ってのクダというコスチュームに紛らせた中野重治自身の心情であったと解釈する。しかし、その読みの妥当性はひとまず措くとしよう。ここで手紙を書いているこの彼が中学校長であったと言うことは、つまり彼自身、毎日のように御真影と向き合って暮らしていたということに他ならない。もちろん、戦前に成人していた中野重治自身もまた、学校という場のなかに「御真影」が置かれ、そこにある種の政治的空間が広がっていたことを知らないはずはなかった。
 だが、中学校長がここで持ち出してくるのは、同じ天皇が写っている「御真影」ではない。「イギリス人画家のかいた絵」の「絵ハガキ」である。
 なぜか。それは御真影が政治的な肖像写真だったからだ。
 本書にもあるとおり、肖像写真というのは、見映えが大事だ。まして一国の領袖ともなれば、見映えが悪いなどということは許されない。
 なんやかやありつつも、製作され、そして「希望があれば下付する」という形でもって、そしてそれに対する下からの呼応によって、全国各地の学校へと置かれることになった御真影。
 しかし、写真嫌いだった明治天皇は、実は青年期に内田らのカメラの前にその姿をさらした後、久しく写真を撮らせなかったという。御真影の、その誕生の大きな理由のひとつは、世界各国へ飛んだ外交官が、その国で「お前の国の支配者の写真をくれ」と言われて十数年も前の写真しかなく、困って本国へ新しい肖像写真を要請したからだそうだが、そうなってさえも、明治天皇は写真を撮らせなかった。その結果としての苦肉の策が、肖像画の写真撮影という事態である。
 多木氏は、この天皇の写真嫌いの理由について「天皇がなぜ写真嫌いであったかを詮索することに意味はない。」として疑義を退けつつ、明治6年に内田九一が撮影した肖像写真を、写真撮影においてどのように画面を構成するかという概念があまりに乏しかった時代ゆえの「もっとも素朴なストレート・フォトグラフィ」であると指摘する。そして、そこに写された明治天皇は、「威厳を誇示するようにもみえず、ポーズも表情も硬く、意志の強そうな青年として写っていた」と評している(p.127「第4章 『御真影』の誕生」)。

 確かに、本書にも掲載されているこの若き日の明治天皇像は、何というか、あまりに生々しい。支配者らしくない。意志は確かに強そうだが、当時の技術力の限界なのか顔は浅黒く、髭も髪型も洋装の軍服もお仕着せの印象が強い。一口で言えば粗野な印象である、と言ったら右翼の人に怒られるかなあ。でも実際にそうなのだ。
 そして、それを詮索しても仕方のないことながら、明治天皇自身、自分の写真写りの悪さを自覚していたんではないだろうかと、僕には思えてしまう。
 この内田の肖像写真と、「御真影」として流布するキョッソーネの肖像画の違い、すなわち、”エフィジー”としての肖像を成立させるための技法はどのように発揮されているのかを説いた第5章「理想の明治天皇像」は、本書の中でも白眉と言うべき面白さだが、残念ながらここではそれに立ち入る時間が惜しい。ただ、「御真影」とは肖像写真であり、したがってあれやこれやの手練手管で、とにかくそこに写される被写体を君主として見映えよくとらえているものなのであり、被写体の人物自身の現実とはいささかの乖離があることをむしろよしとする性質のものであることを理解しなくてはならない。

●絵ハガキと御真影 −再び『五勺の酒』をめぐって−


 肖像がそうしたものであるとするなら、『五勺の酒』に登場するイギリス人の描いたニュース画はどういったものなのか。
 「ハレとケ」、「タテマエとホンネ」といった二分法をここで持ち出すことに大した意味はないが、「御真影」とは全く逆の性質を持つ絵だったと思われる。日本の明治初期における錦絵がそうであったように、ニュース画である以上、庶民の健康な好奇心が自然と盛り込まれるのはやむをえない。そしてそれは、対象を立派に見せるために粉飾するといった肖像画の技法とは全く方向性を逆にするものであっただろう。
 何より、肖像画なら他人が同じフレームに写りこむことはないが、ニュース画においてそれは避けがたい。それは必然的に画中の他人との比較対照を見るものに呼びかけ、フレームに一人だけで収まっていたときにはうまく機能していた粉飾をはぎとってしまう。まして、それを描いたのはイギリス人の画家であり、遠い東国から来た君主に遠慮は存在しない。あるいはむしろ、日英同盟の盟友とは言いながら、その逆にややもすればおとしめるような気分さえあったかもしれない。
 ともあれ、『五勺の酒』の中学校長は、その絵はがきに「あの御真影の天皇が、これなのか」という、「理想像」と引き比べての「現実」を見てしまったのではないだろうか。所詮は猿か捕まった宇宙人のような惨めな存在であり、同時にそれは自分でもあった。富国強兵でどんなに身を飾っても、所詮は「これ」でしかなかった「私」の存在がそこに見いだされたのではなかったか。

 江藤淳氏の言うように、この中学校長が中野重治の本音100%なのかというと、それはわからない。
 しかしこの小説が、「酒に酔ってのクダ」という「タテマエ」のもとに「ホンネ」を語るという構造をとっているのは間違いなく、また、新憲法制定の祝賀に集まってきた10万の民衆の「タテマエ」と本当はそんなものには誰も興味を持っていない「ホンネ」にしたところで、やはりここで問題化されているのはこうした日本的な二面構造であるようにも思えてくる。
 なら、天皇への同胞感覚をめぐるエピソードにしたところで、やはりそうした構造があるのではと勘ぐって、書かれていない「御真影」の姿をそこに夢想するのも、決して詮なきこととは言えないような気がしてくるのである。

 にしても、『五勺の酒』本編を読んでない人間が大風呂敷を広げすぎたかなあ、とか流石の僕も思っていないわけではない。
(2005.2.22)


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『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』
 (岩波現代文庫
  2000年6月刊)
 本書は、著者が美術史学が専門の人だけに、「複製技術時代の芸術作品」の芸術に対する視点に絞り込んだ読み方で、「ドイツ史劇」とか「歴史哲学テーゼ」とか「パサージュ論」の方向との接続は省略してある感じ。野村修訳で『複製技術時代の芸術作品』自体も併録されているのでお得感満載。
 ピカソとかダダイズムとかとも絡めて感想を述べておきたいところだけれど、ここでは後半で取り上げられる映画論との関連で、少し思ったことを述べておくことにする。

 映画と演劇とは似ているように見えて全く違う物だとベンヤミンは言う。なぜなら、演劇で役者は、観客との共犯関係の中で、一連のストーリーを舞台上に現出させる、その現出の過程で、常にその役柄になりきり続けるが、映画においては、役者はカメラのレンズの前で、細切れになったひとつひとつのシーンを、その順逆や連続性を監督その他のスタッフに丸投げしつつ細切れに演じるからだと。
 つまり、演劇においてはストーリーの流れの内で一回生起に終わる仮構が、映画においては何度でも取り直し可能な、複製を前提としたパーツとして存在し、その一回生起性のないパーツのモンタージュによって、ひとつの全体を構成するのである。
 そこではダダイズムと同様の、一回生起性なきパーツの連続が、見る者に衝撃を与える。

 ダダイズムにおいて芸術作品は、ひとの目を魅惑する外見や、ひとの耳を納得させる響きから脱け出して、一発の弾丸に転化した。それはひとを撃ち、そして作品は、いわば触覚的な質を獲得した。
 このことは同時に、映画への需要を育てることになった。というのも、映画の気散じ的な要素も同様に、まず第一に触覚的ともいえる要素なのだから、ダダイズムを求めた人々と初期に映画を求めた人々には、重なっている部分があったのである。

 このベンヤミンの言葉に、多木氏は敏感に反応して、ベンヤミンが、芸術が「触覚」性を獲得したことを重要視していることを強調しながら「われわれが考えるに値する『触覚』とは、何度も経験し、固定した決定的な像を認識しないのだ。平面とか三次元とかに表すことができない。『触覚』とは時間を含み、多次元であり、何よりも経験であり、かつ再現のできないものなのである」と、強く断言している。
 つまり多木氏は、映画が観客に初めて受容された際のその触覚にこそ、一回生起性、すなわち「アウラ」が存在するのだと言いたいようだ。
 ところでその少し前に、カメラによって初めて得られた視点として、「精神分析によって無意識の衝動を知るように、ぼくらはカメラによって初めて、無意識の視覚を体験する」というベンヤミンの言葉を、多木氏が「たとえばこんなことだ。人間は誰でも、歩行についていろいろ説明できる。しかしそれはきわめて大雑把で、足を踏み出す何分の一秒かの、瞬間の動作は何も知らないのが普通である。だがカメラは捕える。『人間の意識によって浸透された空間に代わって、無意識に浸透された空間が現出』しているのである。われわれはその空間を知覚する。つまり機械装置を介した知覚が生まれるのだ」と解説しているのは、もちろん、無関係なことではない。
 そこに現れた「無意識に浸透された空間」を意識的に知覚するときに、触覚が生まれるのだ。
 さてここで、一昨年に公開されて大きな反響を呼んだ映画「マトリックス」に思いを馳せることは、あまり荒唐無稽な話でもないだろう。キアヌ・リーヴスが、上体を大きく後ろにそらしながら、まるで背泳ぎでもするかのように弾丸をかわす様子を、スローモーションで、しかもカメラの視点を移動させながら表現したあまりにも有名なシーンは、明らかに「機械装置を介した知覚」の領域でしか体験できないものだ。しかもそれは、現実に体験可能な「無意識に浸透された空間」でさえない。あんな動きは、現実の人間には出来ないからだ。それを強引に知覚させてしまう力業に、あのシーンの衝撃はあった。
 たとえば「ドラゴンボールZ」を思い出そう。アニメでもマンガでもいい。ベジータと孫悟空が、激しい空中戦をかわす。何度か言葉を交わして戦闘開始を合図した後、動線のみが描かれ、時折、ぶつかったらしい衝撃が、これも効果線のみで描かれる。アニメなら「バシッ、バシッ」という音だけが聞こえる。一瞬、画面が止まったようにベジータが悟空の腹を蹴り上げたシーンが描かれ、次の瞬間にはもうベジータは悟空の背後に回って、悟空を地上に叩きつけるべく拳を振り下ろす。
 もはや一般の人間には知覚できない領域である、ということを、「読者・視聴者にも彼らの動きを記号でしか知覚させない」ことによって描いたものとして、これ以上のものがあるだろうか。
 現実ではあり得ないものを、受け取り手にいかに現実味を持ってとらえさせるか、というのがフィクションの命題のひとつだとすれば、「ドラゴンボールZ」は、超現実的な知覚を、実際に知覚を超えた領域のみで表現展開することで我々に叩きつけてきたのだ。
 だが、「マトリックス」では、その超現実の知覚を、「スローモーション」という技術を介して我々に知覚させてしまう。「スローモーションは、運動の周知の諸要因を明確に映し出すだけでなく、これら周知のものの中から、全く未知のものを発見させる。それは『速い動きを遅い動きに見せるのとはぜんぜん違って、滑るような、漂うような、地上のものではないような、独特な感じの動きに見せる。』」と、これは「マトリックス」の映画評ではなく、他ならぬベンヤミン自身が述べている言葉である。
 スローモーションによる表現で、超現実を知覚させたことは、「マトリックス」でのキアヌ・リーヴスの動きの価値をおとしめることにはならない。我々はそこで、あの動きに「触覚的に」衝撃を受けないわけにはいかないし、その超現実性を認めないわけにはいかない。それはちょうど、安っぽい特撮のネタがばれたのとは正反対に、超現実性の「超」の部分を強める働きを持つのだ。
 そうした、「ドラゴンボール」的な、というかマンガ的な、記号を媒介としての読者・視聴者との共犯関係を切り捨てて、「実際に知覚させてしまう」という技法は、マンガでは多分、「エイリアン9」の富沢ひとしに共通する部分だと思うが、今はそれを指摘するにとどめる。
(2001.7.14)


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多木浩二

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