高野愼三 |
『つげ義春1968』 (ちくま文庫 2002年9月刊) |
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著者の高野愼三氏は、前にも紹介したことがあるけれど、「ガロ」で編集長などを務めた人。その高野氏が雑誌などで書いた、つげ義春について回想したり論じたりしている文章を改稿・再編集したのが本書。ということは、高野氏のちくま文庫第一弾「つげ義春を旅する」は売れたのだろう。何はともあれおめでたい。 で、この本、のっけから凄い。 「私は、白土(三平)マンガを愛読する過程で、水木しげるのマンガに遭遇し、つげ義春のマンガに遭遇した。(中略)そういうわけで、白土三平、水木しげるの話から始まる。」とまえがきに書いて、いきなり載っているのが、まだ青林堂に勤める前の筆者が、会社の先輩と2人でファンだった白土三平の自宅を訪ねていく話。 普通の漫画家ならともかく、人間嫌いで滅多に外部の人間に会うことがないと言われている白土三平だけに、少なくともそのあたりのことを知っている人間にとっては、もう、つかみは万全。しかも、機嫌が良かったのか仕事の合間だったのか、白土三平も仕事場で高野氏と会って、サインまでしてくれています。 それをひとつの契機として、高野氏は勤めていた日本読書新聞を退社し、ガロの編集部に入ることになるのですが、まぁ、今から考えると、というか当時でも「あり得ない」系の話でしょう。 本書に収められている文章は、1978〜96年というかなり長い間に、雑誌に発表されたもので(1970年のつげ自身を交えた座談会も収録されているが、ま、例外と見ていい)、内容も原稿の趣旨にあわせて、当時の経緯を振り返ってみるといったものから、まじめにつげ作品の再評価を試みたものまである。 なので、本書全体をひとくくりにして評言してしまうのは乱暴なのだろうけれども、どうやら編集した側の意図としては、1968年「ねじ式」の発表をひとつのピークとするつげ義春を巡る状況を、つげ忠男や滝田ゆうなど、周辺の漫画家の動きなども含めて、再構築・位置づけしてみよう、ということらしい。 「『ねじ式』の周辺」では、「ねじ式」について「無理矢理に(68年という)特定の状況に結びつけてはならない」という、「ねじ式」を純粋につげ義春という作家の内部のみから発生したものとして時代状況と切り離して考える評価に、「果たしてそうだろうか」と高野氏は疑問を提出し、戦後という時代の中で醸成されていった20代後半のつげ青年の内的な心象、そしてそれ以前に数々の名短編を作り上げることで獲得されてきた表現技法のひとつの極北での発露が「ねじ式」であるなら、「一九六八年という年以外に発表されることは考えられない」と結論する。 そしてその一方、「ねじ式」発表の舞台となった「ガロ増刊・つげ義春特集」が、すでに1か月刊行延期となっており、締め切りに追われる状況だったこと、ガロにとってはもちろん、作者にとっても実験的な、それまでの経験から射程を推し量れるものでない作品であったこと、などにより、「『ねじ式』が、弛緩した作品であることも疑う余地のないところだ。」と批判的な見解を定める。 つまり、そのセンセーショナルな受け取られ方のゆえに、「ねじ式」を単品で考えようとする傾向があるが、同時期に発表された他の完成度の高い(高野氏の言う「自律した」)作品群を考慮し、また作者の置かれていた状況も考慮すべきではないか、という主張だ。 そして、「ねじ式」発表後の世間の評が「『ねじ式』を媒介に自らの精神を分析したり、あるいは作品上の言葉(セリフ)を抽出して、意識の分析を試みているばかり」で、「マンガ表現としてどうであるか、は不問に付された」ことを「『ねじ式』の不幸であると思った」として、その弛緩がマンガ表現としてはむしろ後退の方向に働いているとしても、マンガによる表現としてどうであったかを基幹に据えるべきではなかったか、と言う。 その直前の、劇性の内容事態は、それまで、小説などでもすでにあったものだが、それをマンガで表現し得てしまったところが衝撃だった、という指摘といい、1987年の文章だが、まるで「エヴァンゲリオン」だなぁ、と思ってしまうのは、僕だけではないだろう。 いずれにせよ、「ねじ式」がマンガ作品としてどうだったのか、という、この文章の主眼を含めて、その再定義こそが本書の目的だと考えて間違いはない。 ただし、それが相応の説得力を持ち得るかどうかはまた別の話で、正直、この本だけだと、それはちょっと荷が重いなという印象はある。 手続き的に古いしアバウトだからなのだが、もうちょっと本腰を入れて、文庫本1冊程度でも書き下ろしてもらったら、読み応えのあるマンガ評論になりそうな気がするだけに、この本だけだけだと、ややもどかしい思いが残る。このままでは第2級資料であって、論文にはなりえない。 まぁ、単純に読みものとして、当時の回想を楽しむ分には今のままで十分に面白いのだけど。 本書について、「時代から取り残された者の嘆きと懐古趣味」と一刀両断にしてしまうのは、それはそれで間違ってはいないけど、しかし、たまにはこういうのもいいんじゃないですかね。 ちなみに、1968年というと「あしたのジョー」の連載開始の年でもある。時代とマンガというものがまさにクロスしていた頃だと言ってもいい。 また、現在、季刊ペースで出ている「平成版釣りキチ三平」の巻末についてくる矢口高雄の自伝マンガ「9で割れ!!」では、ちょうど1967年に矢口氏が会社の夏休みを利用してガロの編集部を訪ね、水木しげるに面会したことが描かれており、つげ義春にトーンワークを教えてもらったことなども出てくる。同時代の漫画家志望の青年の姿として読むと、いっそう面白い。 なお、平成版第2巻(雑誌サイズの方)の247ページ左上、ガロの編集部にいるメガネをかけてタバコをくわえた男性は、どうも高野氏のような気がするのだけど、これはちょっと邪推しすぎかな。 (2002.12.26) |
『つげ義春を旅する』 (ちくま文庫 2001年4月刊) |
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少し前に平野啓一郎の「文明の憂鬱」を読んだ。その次にここに飛んでくるのはちょっと意外なようだが、何のことはない、本棚をがさごそとまさぐっていたら、どうにも見覚えのない本が出てきた。それがこの本だったというだけのことである。取り出して少し眺めて、昨年に岡山へ出張したおりに買い求めたものだったと思い出す。 ときに本というのは、いつ読んだということ以外に、どこでいつ買ったものかという部分でも人生に結びつく。なぜなら、ある本を手にとって買うというのは、その時自分が、その本に興味を示すような心理状態だったということに他ならないからだ。同じ本でも、それを買う瞬間と、手にも取らない瞬間が人生の中にはある。 さて、この本は「ガロ」の元編集長である高野愼三が、つげ義春の作品の舞台になった温泉や宿場、小さな町を訪ね歩くという内容のものだ。作品のモデル論という体裁でもないし、単純な紀行文というものでもない。言ってみれば、梶井基次郎のファンが、今でも京都の丸善を訪ねて、画集の上に檸檬を置いて行ったりする、あの心理をつづったものに近い。 ファン心理と言ってしまえばそれまででもあり、たわいないと言えば言えるが、読んでいて、とてもそれが心地よい。微笑ましいというのともちょっと違うかと思うが、自らもファン心理を追体験しているような感触が、気楽さをもたらしてくれるのだろうか。 文中にはつげ義春の作品の中のコマが示され、そのコマに描かれた風景の箇所が、高野によって写真に撮られ、並べられている。 「このような作品に接した時、二岐温泉を訪ねてみたい、と思わぬ読者はいないだろう。この作品だけではない。つげ義春の作品に登場する土地とその風景すべてにじかにふれてみたいと思わずにはいられない。そのくらい、つげ義春の描く風景には、人の心を引きつける奥行きのある何かがかくされている」と、高野は第1回でこの旅の秘密を解き明かしてみせる。 貧しい温泉宿の風景は、写実的でありながら全てを後悔の中に落としこんでいくようなつげの筆致によって定着させられ、その前でいかにも「ガロ」という70年代漫画的な造形の人物が立ちつくしている。 その魅力に触れるために旅をするというのなら、それはファン心理というよりも、むしろ巡礼に近い。 その風景をつげがいかに絵にしたか、実際に現地に立ってみることでそこに思いを馳せようというのは、やはり巡礼である。巡礼とはその中に自ずとファン心理を含むものだが、それがただはしゃぐだけにとどまらないのは、この本にとっての福音であるだろうか。 後半、つげの自伝的作品をめぐって、つげが少年時代から青年時代を送った東京を彷徨うようになると、文章のタッチが一変する。ベンヤミン風に言えばエゾテーリッシュなとでも言おうか、どこかしら背教のにおいがただよい、そしてそこから逃れようとするかのように、高野の筆は「当時のつげ義春」について描き始める。実はそこまでいくと、読んでいる方としてもそこまで楽しい気分ばかりには浸れないのだが、それが別種の魅力となっていないわけではない。 読む側の精神状態によって評価が変わる1冊だろうが、今の僕としては、そこそこ楽しく読むことが出来た。特に前半は楽しかった。 (2002.5.17) |
高野愼三 |