宮本常一



『女の民俗誌』
 (岩波現代文庫
 ****年*月刊)
 民俗学者であると同時にみずからも土を耕し日本の原風景の中に生きた宮本常一らしく、非常に土俗的な色合いの濃い1冊でありました。
 そのタイトルの通り、女性にまつわるあれやこれやに的を絞り、土地の古老の中に混ざって囲炉裏端を囲んで集めた、無名の人々の生活を記した論文を集めているわけですが、そう考えてみれば、なるほど、女性には、巫女とか海女とか出産とか、男性にない様々な役割があったのですから、ジェンダーにこだわらずにものごとを見ていたときには見えてこなかったような習慣が、女性に的を絞ることによって見えてくる面はあろうかなという気がします。
 特にそのことが感じられるのが海女について書かれた論文群で、どうして女性が海女という仕事をするようになったのか、というはっきりとした理由はつかんでいないながら、対馬の女性たちが厳しい海女の仕事を受け継いできたという、その記録を克明にしています。
 海女さんというのは、僕は何か、肺活量が大きいとか体脂肪率の関係で寒さに強いとか、そうした肉体的な理由から女性の仕事になっていったものかと漠然と考えていましたが、どうもそういうものではないらしい。
 例えば、男はどんなに暇でも海に潜っての漁はしないという地域もあるようですし、海女さんをしている女性は、総じて寿命が短いとも言う(ウエットスーツが発達した現代はどうなのかわかりませんが)。それでも女性達は、誇りを持って海女という仕事を続け、それが当たり前として生きてきた。
 こうしたことは、漠然と生活の全体を見ていると、どうも見えてきにくい気がします。女性へと対象を絞り込んでいくことで、そうした生活の不思議が見えてくる。
 ちなみに、素人考えですが、海女の仕事が女性の専門分野になったのは、海が、古来、神秘的なものであったからではないかと思います。谷川健一が『日本の神々』の産屋の話で書いていますが、亀をはじめ、古代日本には、海の生物というのを神聖視していたきらいがある。とすると、そうした海の生き物の住む世界へ降りていって、漁をして戻って来るというのは、やはり巫女の仕事と通じるものがあるのではないかと。そこに、女性自身の神秘性と結びつく余地が生まれているのではないか、というわけです。
 ま、ただの思いつきですが。

 また、宮本の文章が生活に密着しているように感じられるのは、それが伝承者の存在をくっきりと浮かび上がらせているからでもあります。
 例えば柳田国男とか折口信夫とか、小松和彦、さらには本署の解説を書いている谷川健一といった人々の書くものと比べて、宮本常一は、遙かに、その話を伝えてくれた古老たちの様子を詳しく描き出します。
 どこそこの地方を歩いているとき、こんなおばあさんに声をかけた。その人の話すには云々。
 話を聞かせてくれる話者は、紛れもなくその話の中の生活を生きてきた人でありますから、その話者を通じて、話の内容は、よりナマな感じを読む者に与えてくれるのだと思います。
 もっとも、それを好むか好まないかは読む者次第でありましょう。実のところ、僕はこのナマっぽさがどうもあまり好きではありません。
(2002.10.24)


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『忘れられた日本人』
 (岩波文庫
 ****年*月刊)
 しかし民俗学の人というのは、なんだか統一性がない。柳田国男、折口信夫、谷川健一、小松和彦と新旧取り混ぜて手近に目についた名前から並べると、ほとんど同じ学問をやっていると思えないほど、その性格や姿勢にバリエーションがある。これも若い学問ならではというものか。
 宮本常一はオプチミストだ。折口がどこかしらペシミスティックな場所を出発点にして、日本人の始源へと思索を遡行させていくのに対して、宮本は、口では悲観的なことを述べたりしつつも、人間という種族の生命力をどっかで信じている。
 民俗学者として活動するかたわら、ずっとお百姓さんをしていたそうだから、そのへんが関係しているのかもしれない。
 しかし、仕事の関係上、百姓というものと接する機会が割と多い昨今、こちらとしてもなかなか複雑な心境ではある。百姓なんぞさっさと滅亡してしまえ、という気も一方ではするのだけれども、しかしそれはおそらく正しくはないのだろうなとも思う。
 若いってのはこういうもんかねぇ。
(2001.3.20)


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宮本常一

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