塚原史



『ダダ・シュルレアリズムの時代』
 (ちくま学芸文庫
  2003年9月刊
  原著刊行1988年4月)

●三面鏡人ダダ


 この前に読んだ巌谷國士『シュルレアリスムとは何か』から引き続きで、自分内シュルレアリスムフェア開催中。しかし「なんとかフェア」っていう言い方って、今もう出版業界以外じゃあんまりしないような気がする。衣料だって「夏物フェア」とかやらない…、いや、意外とそんなでもないかなぁ。
 まあそれはともかく、基本的にシュルレアリスムのみについての入門書だった巌谷氏の著作とは違って、本書はむしろ、ダダの方に焦点を絞った入門書になっている。しかしダダといったらウルトラマンだ。三面鏡人ダダ。体内が迷路になっているという怪獣ブルトン(勿論、シュルレアリスムの代表的詩人アンドレ・ブルトンから名前をもらっている)と並ぶ美術系ネーミングだが、「毎日目にするいつもと変わらない世界。だが、もしも学校であなたの隣に座っている人が、実はおそろしい怪獣にいれかわられていたら…」みたいな怪獣図鑑の解説が幼心にけっこう怖かった記憶がある。いま思えば、世界を全く変えないままでその意味だけをずらし、世界の変位と脱意味化を狙うダダ(芸術運動の方ね)の本質を、うまく怪獣という設定の中に落とし込んでいたんだなあと感心してしまうが、きっと初期ウルトラシリーズに、その手のものが好きな人がいたんでしょうなぁ。

●意味の破壊者


 なんだか話がわき道にそれっぱなしだ。
 そもそもダダとは何だろうか。それを理解するためには、一から説明を積み上げるより、むしろシュルレアリスムとダダの差異から説明した方がいいような気がする。
 シュルレアリスムとダダの違いについて述べよ、と言われても答えるのは難しい。作品を並べられてもそれは同じで、つまり作品の上だけでは、両者の見分けは素人にはつきがたい。
 ダダの中心人物であるトリスタン・ツァラは、『ダダ宣言1918』で「ダダは何も意味しない」というフレーズを通じて、ダダの狙いを世に伝えた。これに対応するのが、ブルトンの『シュルレアリスム宣言』にある「『理性に管理されない思考の書き取り』によって開かれる『高次の現実』(超現実)の探求」(p.21「文庫版への序文」より)だ。
 シュルレアリスムがただの意味不明ではなく、自動筆記やデペイズマンによって理性の管理を外れたところでなされる超現実の表現であることは、巌谷氏の著作にもあるとおりだ。現実とは我々が考えているほど強固なものではなく、そこから陸続きに、普段僕たちが意識しない超現実へと繋がっている、とそこには記されていた。
 一方においてダダは、「何も意味しない」という。つまり、「意味」を破壊することこそがダダの目的であって、そこから高次の現実を、というような、生産的な思考を持ち合わせない。ツァラの考案した詩作の方法に、新聞記事から単語を切り抜いて袋に入れ、適当にその中から一語ずつを取り出し、出てきた順に並べる「帽子の中の言葉」と称される方法がある。もちろん、そうやって出来た詩には韻もなければ意味もなく、ついでに言えば優美さもない。
 しかし、そうして出来上がった詩を構成しているのは紛れもなく僕たちが普段の生活の中で慣れ親しんだ言葉であり、その言葉の群自体は、それぞれに意味やイメージと結びついている。だがそうした意味やイメージの偶然の結びつきから、新たな世界を模索するか、というとそうではない。この、意味と結びつきそうに見えてしまうが、絶対に意味とは結合しないというところが、この言語実験が言葉に対する「罠」である所以らしくて、フーゴ・バルによる音響詩「ガジ・ベリ・ビンバ」のように(ちなみにシティボーイズやいとうせいこう、宮沢章夫らの演劇集団「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」の「ガジベリビンバ」はここからきている)、元から意味のない「ガジ」や「ビンバ」といった言葉を並べることによる音響のみの詩は、もとより読む者に意味を想起させないという点で、似てはいるがツァラの実験とは全く違うものだという。

●破壊者という偶像という見世物


 ダダがダダとして輝いていた時代は短命に終わった。あらゆる過激さは、その過激さが「過激さ」とカッコにくくりこまれた時点でマンネリズムに回収される。
 ダダは当時、何度か「ダダの夕べ」という催しをおこなっていたという。チューリッヒという片田舎で始まったこの催しは、詩の朗読、演劇、ダンスなどが盛り込まれていたが、それは一般的な意味での詩の朗読や演劇やダンスではなかった。観客たちは、言葉が意味から切断され、演劇が物語から切断され、ダンスが踊りから切断されて演じられるさまに驚き、あるいは怒ったという。その怒りというのはつまるところ「金返せ」であり、「わけわかんねえよ」といった感情だったろうが、重要なのは観客たちのその反応もまたひっくるめて、ダダがこの夕べであらわそうとしていたものだったということだ。
 そうした全く予測の不可能なスペクタクル性、現実の、すなわち小屋の外の世界とは全く異なった世界を小屋の中に現出せしめることこそが、この「ダダの夕べ」の目的だった。
 だが、当初はそのように戸惑いと怒りをもって観客に応えられていた「ダダの夕べ」は、「そうしたもの」と認知され、また舞台をパリに移したあたりで、完全にダダの目指していた「意味の破壊」という目的にはそぐわなくなる。それはもはや「風変わりな催し」以上の何者かではなく、観客たちもそうそういつまでも怒ってはくれない。
 それはこの「夕べ」という催しだけにとどまらない。結論から言って、ダダは「ダダ」として一般に認知されるようになったときに芸術運動としては終焉を迎えていたのではないかと個人的には感じる。
 ツァラはその後、同時並行的に勃興していたシュルレアリスムに接近したり、また離れたりしたのち、大戦をこえてパリの地で1963年まで生きのびる。
 大戦をパリで生きのびたということは、シュルレアリスムだけではなく、福田和也氏が『奇妙な廃墟』でつまびらかにしたようなモーリス・バレス、ブラジヤックらの親ナチス的な作家グループ(いわゆるコラボラトゥール作家たち)や、あるいは本書でも取り上げられているジョルジュ・バタイユのような思想家とも同じときを同じ都市で過ごしたということだ。その協力的敵対的といった関係性は問わず。
 その中でツァラが果たした役割については、本書にはほとんど書かれていない。少し物足りないような気もするが、本書の中の記述を見る限り、大戦期に入ってからのツァラは、詩論と実作のうえに少なくとも読む者に違和感をおぼえさせるだけのぶれがあり、それがツァラの中でどのように統一されていたかについては、論が分かれるところなのではないかという印象を受ける。
 いずれにせよ、ツァラを「ダダの詩人」として眺めるかぎり、その活動のもっとも華々しかったのはチューリッヒ時代ということになるだろう。それ以降については、また別の視座が必要になってくる気がする。

●余塵


 本書では他に、シュルレアリスムについて、またバタイユについて、特異な作家であるレーモン・ルーセルについて、それぞれに章がさかれているが、ここではそれらについての感想は割愛する。
 本書のもっとも注目すべき箇所は、ダダについての記述だろうと思うからだ。
(2005.11.16)


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